大字江古田とは? わかりやすく解説

大字江古田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)

江古田」の記事における「大字江古田」の解説

1889年明治22年4月町村制施行とともに江古田村近隣の6合併して野方村となり、江古田はその大字になった東多摩郡野方村大字江古田)。1896年明治29年4月東多摩郡南豊島郡合併して豊多摩郡になると、その管轄属した。大字江古田の下の小字としては、東和田、東本村下の原上の原、北の原、西の原寺山本多、徳殿、籠原籠原窪、北原があった。 1897年明治30年)ごろ、天然氷製造所設立された。当時江古田低地水田水路多く冬は非常に寒かった。特に片山(現・松が丘北側斜面低地寒さ厳しく、冬に厚い氷が張った現在の江古田公園のあるあたりに四方レンガ積みの場所をつくり、冬に妙正寺川清流引き込んで凍らせて天然氷製造し、夏に売り出した天然氷製造大正初めまで続けた1904年明治37年)に開戦した日露戦争では江古田からも兵士出征した戦病死した4人のために氷川神社忠魂碑建立したこの間江古田和田山哲学堂創始された。哲学館(現・東洋大学学長井上円了1903年明治36年)に和田山哲学館敷地として譲り受け翌年4月哲学堂(現・四賢堂)の開堂式を挙げた井上円了哲学館学長辞めた後、和田山各種建物建てることに尽力した現在の哲学堂公園である。 1913年大正2年)、東本村古くからあった御嶽社第六天社氷川神社合祀した両社の祠は民家の庭に移して残した

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