大会の存在意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:46 UTC 版)
「FIFAコンフェデレーションズカップ」の記事における「大会の存在意義」の解説
キング・ファハド・カップがコンフェデレーションズカップとしてFIFAに管轄が移ってから、本大会は2年に1度、世界の勢力図を測るためのもう1つの世界一決定戦として一旦は位置付けられた。しかし、決勝まで進出するチームはわずか10日から12日の中で5試合を行い、試合間隔は基本的に中1日という、A代表によって争われる国際大会としては異例の過密日程(23歳以下の代表によって行われるオリンピックのサッカー競技もアトランタオリンピックまでは基本的に中1日で進められたが、シドニーオリンピックからは開会式前から競技を始めることで中2日の試合間隔を確保した)や、当時は国際Aマッチデーが定められておらず(定められたのは2003年から)、大会の開催期間が欧州のリーグ戦日程と重なるということもあり、出場国のモチベーションが高くなく、一流選手が出場を見送ることも常態化するなど、およそ価値の高い大会とは見られていなかった。 2003年の第6回フランス大会では、この超過密日程の影響が最悪の形で現れた。6月26日に行われた準決勝カメルーン対コロンビア戦の試合中にカメルーン代表のマルク・ヴィヴィアン・フォエが試合中にピッチ上で倒れ、そのまま亡くなる事件が発生した。その後の3位決定戦、決勝戦では試合前に黙祷がささげられ、選手全員が喪章をつけて試合に臨むという追悼ムードに包まれたままの大会閉幕になった。この一件により、サッカーにおける過密日程どころか大会の廃止までもが議論の焦点となった。 そこでFIFAは第8回南アフリカ大会からは大会の間隔を従来の2年に1度から4年に1度に変え、開催地を翌年開かれるFIFAワールドカップ・本大会の開催国とした。この決定によって、コンフェデレーションズカップは「FIFAワールドカップのプレ公式大会」としてサッカー界のカレンダーに明確に再定義されることとなった。また、試合間隔も2005年の第7回ドイツ大会からは中2日に改められた。
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