夢中問答集
夢窓疎石
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 18:14 UTC 版)
夢窓 疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟[1]。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する[注釈 1]。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖[2]。
注釈
- ^ 夢窓疎石の父は近江源氏佐々木朝綱とされる。
- ^ 同時代人の宗峰妙超(大燈国師)は、夢窓疎石とは違い純粋禅を奉じた。
- ^ 由来は夢想疎石だが、開山は同門の元翁本元となっている。永保寺開山堂には元翁本元と共に夢窓疎石の頂相(禅僧の肖像画)が安置されている。
- ^ 千葉県の太高寺の伝に拠れば、元亨3年(1323年)から二年半、同地の「金毛窟」と呼ばれる洞にて隠棲、座禅修行を行っていた。後醍醐天皇がこれを招聘するも固辞、天皇は執権北条高時(権力者でありまた、母方の血縁も考えられる)を通してさらに上洛を促したため、同門の元翁本元と共に上洛した、と伝わっている。また、上洛時のルートは甲斐国を経由して中仙道を利用したとされている。
- ^ 西芳寺を開基した鎌倉幕府評定衆の中原師員の子孫であり、兄も鎌倉幕府評定衆。自身は鎌倉幕府評定衆であり、その後は室町幕府においても評定衆を勤めた。また、松尾大社の宮司でもあった。
- ^ 同寺はこの再興時に浄土宗から禅宗に変更されている。寺名もそれまでは「西方浄土寺」であったが、疎石は西方浄土寺と隣接していた厭離穢土寺の二寺を統合し、禅宗の祖である達磨大師を指す「祖師西来五葉聯芳」に由来する「西芳精舎(西芳寺)」と改められた。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 葉貫 1997.
- ^ a b c “夢窓疎石”. 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2017年5月15日閲覧。
- ^ a b c d 小野健吉『日本庭園:空間の美の歴史』岩波書店〈岩波新書〉2009年、ISBN 9784004311775 pp.111-121.
- ^ "七朝の帝師". 世界大百科事典. コトバンクより2020年7月28日閲覧。
- ^ 小畠文鼎「七朝帝師夢窓国師」(『禅宗』163号、明治41年(1908年))
- ^ 今枝 1997.
- ^ "夢窓疎石". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2020年7月28日閲覧。
- ^ Snorql for Japan Search 夢窓疎石
- ^ 佐々木哲学校 - 壱岐大夫判官泰綱(ブログ、2005年)
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