元_(王朝)とは? わかりやすく解説

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元 (王朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 08:11 UTC 版)

北走後も北元のクビライ家皇統は1388年まで存続。モンゴル・ハン国は1635年まで存続した。


注釈

  1. ^ 以下にあるように、クビライによって国号が改められてから、同王朝では「大元」がひとつの固有のタームとして使用されていたことが近年の研究で明らかにされており、特にモンゴル帝国時代では形容詞の「大」が国家やモンゴル王室に関わるキータームであったことが判明している(モンゴル帝国での「大」の問題については、志茂碩敏『モンゴル帝国史研究序説』(東京大学出版、1995年)などに詳しい)。そのため、近年では「元」などでは呼称上からもモンゴル政権としての実態について不正確な認識を生むとして、モンゴル帝国史研究の杉山正明に代表される元朝関係の研究者の間で「大元ウルス」という呼称を用いる頻度が増えている。
  2. ^ モンゴル帝国では、例えばモンゴル皇帝が主催するクリルタイを「大クリルタイ」(Yeke Qurilta ;Qūrīltāī-yiBuzurg ;大集会)と呼んだり、チンギス・カン以降の歴代モンゴル皇帝の墓所を「大禁地」(ghurūq-i buzurg)と呼ぶなど、モンゴル王家やモンゴル帝国の国政に関わる重要な事柄について、中国での行政用語である漢文では「大〜」、これと同義で支配階級が用い、勅令などでも使用されるモンゴル語では "Yeke ~" 、帝国全体で行政用語として広く用いられたペルシア語では "~ buzurg" という表現を附し、ひとつながりの固有名詞として用いていた[2][3][4]
  3. ^ 「マンジャニーク( منجنيق manjanīq < pl. مناجيق manājīq )」という単語自体は投石機一般を指すギリシア語由来のアラビア語の単語であるが、12世紀後半にシリアにおいて十字軍諸侯とムスリム諸政権との戦争が激化し、攻城戦において攻撃力の高い投石機(トレビュシェット)が開発された。
  4. ^ 従来の中国式の投石機は人力で投石するものであったが、おもりの力を利用するマンジャニークはその3倍程度の重量物を約1.5倍の射程まで撃ち込んだ。

出典

  1. ^ 元史」世祖本紀巻七 至元八年十一月乙亥(1271年12月18日)条の詔に、「可建國號曰大元、蓋取易經「乾元」之義。」とあり、「易経」巻一 乾 に「彖曰、哉乾、萬物資始。」とある。また、「ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス」という呼称の同時代的例証としては、以下の2つのモンゴル語碑文が知られている。ひとつは、かつての熱河省烏丹県(現中華人民共和国内モンゴル自治区赤峰市オンニュド旗烏丹鎮)付近にあった、至元四年五月(1338年5月20日- 6月18日)に魯国大長公主の媵臣であったという竹温台(Jigüntei)の功績を顕彰するために建立された"大元勅賜故諸色人匠府達魯華赤竹公神道碑(碑文本文冒頭では:大元勅賜故中順大夫諸色人匠都總管府達魯花赤竹公之碑)"で、その碑陰のウイグル文字モンゴル語文面に「大元(ダイ・オン)と呼ばれるイェケ・モンゴル・ウルス(、ローマ字表記:Dai-Ön kemekü Yeke Mongγol Ulus)」とある。もうひとつは、同じく同地にあった「至正二十三年歳壬寅十月吉日立石」(至正23年10月=1363年11月6日 - 12月5日)という記年がある、西寧王 忻都(Hindu/Indu)が建立した"大元勅賜追封西寧王忻都神道碑"で、やはりウイグル文字モンゴル語で「ダイ・オン・イェケ・モンゴル・ウルス(Dai-Ön Yeke Mongγol Ulus)」とある。(F. W. Cleaves "The Sino-Mongolian Inscription of 1338 in Memory of Jigüntei", Journal of Asiatic Studies, vol.14, no.1/2 Jun., 1951, pp. 1-104./F. W. Cleaves "The Sino-Mongolian Inscription of 1362 in Memory of Prince Hindu", Journal of Asiatic Studies, vol.12, no.1/2 Jun., 1949, pp. 1-113./前田直典「元朝行省の成立過程」「元朝史の研究」p.190(初出:「元朝行省の成立過程」『史学雑誌』56編6号、1945年6月)) 両碑文については田村実造「烏丹城附近に元碑を探る」(『蒙古学』1号,1937年、p.68-82, +2 plate)が詳しい。
  2. ^ 志茂碩敏「モンゴル帝国の国家構造 第1章 amīr-i buzurg」『モンゴル帝国史研究序説』 東京大学出版会、1995年 p.451-476
  3. ^ 志茂碩敏「モンゴルとペルシア語史書 -- 遊牧国家史研究の再検討 -- 」『岩波講座 世界歴史 11 中央ユーラシアの統合』岩波書店、1997年 p.263-268
  4. ^ 杉山正明「序章 世界史の時代と研究の展望」『モンゴル帝国と大元ウルス』p.14-16
  5. ^ a b 杉山正明『モンゴル帝国の興亡(下)世界経営の時代』p. 40-43/
  6. ^ 杉山正明『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』角川書店(角川選書)、1992年6月 p.179-189
  7. ^ 杉山正明「第2章 モンゴル帝国の変容」『モンゴル帝国と大元ウルス』p.119-120
  8. ^ 杉山正明『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』角川書店(角川選書)、1992年6月 p.219-230
  9. ^ 松田孝一「モンゴル時代中国におけるイスラームの拡大」『講座イスラーム世界 3 世界に広がるイスラーム』(板垣雄三 監修)栄光教育文化研究所、1995年1月、p.157-192/ 佐口透「第4章 東アジアのイスラム 第1節 元朝のイスラム教徒」『東西文化の交流 4 モンゴル帝国と西洋』(佐口透 編)平凡社、1970年 p.248-260
  10. ^ 宮紀子「第8章 「対策」の対策」『モンゴル時代の出版文化』p.380-484
  11. ^ a b 野口善敬「第2章 元・明の仏教」『新アジア仏教史 08 中国III 宋元明清 中国文化としての仏教』佼成出版社 2010年9月
  12. ^ 『元史』王磐伝・アフマド伝、『雪楼集』巻十、『廿二史札記』巻33
  13. ^ 1271年 - 1368年
  14. ^ 森平雅彦「世界帝国のなかの高麗王」『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』(世界史リブレット, 山川出版社.2011年5月) pp.32〜55
  15. ^ 『元史』世祖紀、汪世顕伝
  16. ^ 『蒙元制度与政治文化』5章1節
  17. ^ 『元史』王磐伝・アフマド伝、『雪楼集』巻十、『紫山集』巻22
  18. ^ 飯山知保『金元時代の華北社会と科挙制度』早稲田大学出版部(早稲田大学学術叢書)、2011年3月 p.290-307
  19. ^ 大半は『中国の歴史8-疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元』のp344からp346より引用
  20. ^ 『宋代経済史』緒論、漆侠
  21. ^ 『世界歴史大系 中国史 3 五代〜元』、p494。ただしこれは華北の土地を広くモンゴル貴族の所領としたためでもある
  22. ^ カルピニ、ルブルク(護雅夫 訳)『中央アジア・蒙古旅行記』(東西交渉旅行記全集 1)桃源社、1965年p.263-274
  23. ^ 中村淳「モンゴル時代の「道仏論争」の実像--クビライの中国支配への道」『東洋学報』Vol.75, No.3・4 (1994/03) pp.229〜259.
  24. ^ 野口善敬「第2章 元・明の仏教」『新アジア仏教史 08 中国III 宋元明清 中国文化としての仏教』佼成出版社 2010年9月
  25. ^ 松田孝一「モンゴル時代中国におけるイスラームの拡大」『(講座イスラーム世界 3 )世界に広がるイスラーム』(堀川徹 編)栄光教育文化研究所、1995年、p.157-192
  26. ^ 佐伯好郎『元時代の支那基督教(支那基督教の研究 第2巻)』名著普及会、1979年(初版:春秋社松柏館、1943年)
  27. ^ 高橋文治「太宗オゴデイ癸巳年皇帝聖旨訳註」『追手門学院大学文学部紀要 』25号、1991年、p.422-405 ;森田憲司「曲阜地域の元代石刻群をめぐって」『奈良史学』19号、2001年12月 ;宮紀子「第5章 大徳十一年『加封孔子制』をめぐって」「第6章 『廟学典礼』箚記」『モンゴル時代の出版文化』名古屋大学出版会、2006年
  28. ^ 宮紀子「第2章 鄭鎮孫と『直説通略』」「第8章 「対策」の対策」『モンゴル時代の出版文化』名古屋大学出版会、2006年
  29. ^ 『中国の科学と文明』4・5・7、ジョゼフ・ニーダム


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