多田駿とは? わかりやすく解説

多田駿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 11:05 UTC 版)

多田 駿(ただ はやお[1][2][注釈 1]1882年明治15年)2月24日 - 1948年昭和23年)12月18日)は、日本陸軍軍人陸士15期陸大25期。最終階級は陸軍大将宮城県仙台市出身[3][4]


注釈

  1. ^ 林茂 『日本の歴史25 太平洋戦争』 中公文庫新版 [S-2-25] ISBN 978-4122047426、60pでは「駿」に「しゅん」とルビが振られている。
  2. ^ 陸上自衛隊幹部学校・修親会編『統率の実際2』においても、多田は「真の中国通」と評されている[5]
  3. ^ 参謀総長である閑院宮載仁親王は皇族であり実権を持たなかっため、参謀次長である多田が、事実上の参謀本部のトップであった[6]
  4. ^ 各地の地方幼年学校優等卒業者には、銀時計が「教育総監賞」として授与された[9]。陸士54期相当(地方幼年学校を昭和12年11月19日に卒業)以降は恩賜となった[9]
  5. ^ 片方の掌だけでは拍手は鳴らない。多田によれば、この言葉は夫婦でも、上官と部下でも、国と国の間でも、両手を合わせて掌が鳴るように一致協力していけば、目的が達せられることを言い表している、としている[24]
  6. ^ 馬奈木の証言によれば、多田・本間の手による日中和平条件を記した密書を携行したとのことである[35]
  7. ^ 例えば、多田より陸士で1期下(16期)の安藤利吉は、陸軍中将で昭和16年1月に予備役に編入されたが、太平洋戦争の開戦を控えた同年11月に召集されて台湾軍司令官に親補され、昭和19年1月には陸軍大将に親任されている。
  8. ^ 多田が昭和16年の予備役編入から昭和23年の死去まで住んだ館山市の旧宅は現存し、多田の遺品や資料が多く保存されている(2012年現在)[2]
  9. ^ 多田と親しくしていた多くの人々の尽力、多田の健康上の問題などが複合して、多田は巣鴨プリズンへの収容を免れた[66]
  10. ^ 川島が特務工作員として思うように動かないと感じ始めた多田が、川島の暗殺命令を出したという説がある[85]。ただし、川島は特に暗殺されることなく1945年(昭和20年)の日本の敗戦を迎え、漢奸として国民政府に逮捕され、1948年に処刑されている。
  11. ^ 5尺9寸は、約178.79センチメートル
  12. ^ 「177センチ」は原文ママ。

出典

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  2. ^ a b 岩井 2017, pp. 11–13, プロローグ - “終の住処”を訪ねて-館山にて
  3. ^ 岩井 2017b, 位置No. 108-139、プロローグ-"終の住処"を訪ねて:館山にて
  4. ^ 岩井 2017b, 位置No. 3873-3914、第4章 幻の陸軍大臣ー東條英機の対極として:そして離任(昭和16年7月8日付の読売新聞からの引用)
  5. ^ 岩井 2017, p. 49
  6. ^ 岩井 2017b, 位置No. 1241-1261、第1章「弱い者いじめ」が大嫌いー仙台から満洲・天津へ:帰国、そして中央へ
  7. ^ a b c 秦郁彦 「日中戦争の軍事的展開」『太平洋戦争への道 開戦外交史4 日中戦争〈下〉』(新装版)、朝日新聞社、1987年、34頁。
  8. ^ 川田 2014, p. 265
  9. ^ a b c 秦 2005, pp. 631–634, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-8.地方幼年学校卒業生
  10. ^ 岩井 2017, p. 44
  11. ^ 秦 2005, pp. 545–611, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-1.陸軍大学校卒業生
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  14. ^ a b c 岩井 2017, pp. 46–49
  15. ^ 森松 1989, p. 70
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  20. ^ 川田 2014, pp. 108–111
  21. ^ a b c 岩井 2017, pp. 74–77
  22. ^ a b 大杉 2007, pp. 215–218
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  24. ^ 森松 1989, pp. 63–64
  25. ^ a b c 森松 1989, pp. 72–73
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  40. ^ 加藤 2007, p. 217
  41. ^ a b 秦郁彦 「日中戦争の軍事的展開」『太平洋戦争への道 開戦外交史4 日中戦争〈下〉』(新装版)、朝日新聞社、1987年、32-33頁
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  43. ^ a b c 戸部 1991, pp. 110–112
  44. ^ a b c 秦郁彦 「日中戦争の軍事的展開」『太平洋戦争への道 開戦外交史4 日中戦争〈下〉』(新装版)、朝日新聞社、1987年、38-41頁
  45. ^ a b c 大杉 2007, pp. 371–374
  46. ^ a b c d e f g h 岩井 2017b, 位置No.331 - 374、序章 参謀次長の涙-「日中和平」ならず:たった一人の反論
  47. ^ a b c d 岩井 2017b, 位置No.384 - 418、序章 参謀次長の涙-「日中和平」ならず:児島襄が描いた攻防
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  58. ^ a b 筒井清忠 「天皇指名制陸相の登場」『昭和史講義2―専門研究者が見る戦争への道』 筒井清忠編、筑摩書房〈ちくま新書〉、2016年、214-215頁
  59. ^ a b 古川隆久 『昭和天皇』 中央公論新社〈中公新書〉、2011年、229-253頁
  60. ^ 岩井 2017b, 位置No. 3237-3306、第4章 幻の陸軍大臣-東條英機の対極として:陸軍大臣推薦の経緯
  61. ^ 岩井 2017b, 位置No. 3387-3453、第4章 幻の陸軍大臣ー東條英機の対極として:もし多田が陸将だったら
  62. ^ 板垣征四郎、多田駿が大将に『東京日日新聞』(昭和16年7月8日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p785 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
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  64. ^ 岩井 2017b, 位置No. 3802-3863、第4章 幻の陸軍大臣-東條英機の対極として:東條から下された待命
  65. ^ 半藤一利+横山恵一+秦郁彦+原剛 『歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』 中公新書ラクレ 340 ISBN 978-4121503404、45p
  66. ^ a b 岩井 2017, pp. 271–277, 第五章 房総での閑日月 - 自責の念を抱えた将軍-東京裁判の証人として出廷
  67. ^ a b 岩井 2017, pp. 13–16, プロローグ - “終の住処”を訪ねて-「惜しい人材を失った」
  68. ^ a b c d e 岩井 2017b, 位置No. 4470-4638, 終章 相馬御風への手紙 - 参謀次長の"ファンレター"
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  70. ^ 大正7年(1918年)11月14日『官報』第1885号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3 「○授爵・敍任及辭令 ◉大正七年十一月十八日 … 參謀本部附被仰付(十一月十二日陸軍省) 陸軍砲兵大尉 多田駿」
  71. ^ 外山・森松 1987, 371頁.
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  73. ^ 江口圭一大系日本の歴史14 二つの大戦』 小学館ライブラリー SL1014 ISBN 4094610146、274p
  74. ^ 『官報』第6267号「叙任及辞令」1904年5月24日。
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  76. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。
  77. ^ 『官報』第976号「叙任及辞令」1915年11月1日。
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  80. ^ 『官報』第2751号「叙任及辞令」1936年3月6日。
  81. ^ 任陸軍大将 陸軍中将 多田駿」 アジア歴史資料センター Ref.A03023525300 
  82. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  83. ^ 『官報』1940年1月24日 敍任及辭令
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  85. ^ 『阿片王一代 - 中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯 - 』(千賀基史、光人社、2007年)
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  87. ^ 岩井 2017b, 位置No. 4358-4594, 終章 相馬御風への手紙 - 若者は「身命を惜しめ」
  88. ^ a b 岩井 2017b, 位置No. 4594-4685, 終章 相馬御風への手紙 - 敗戦後の葛藤
  89. ^ 岩井 2017b, 位置No. 108-139, プロローグ - "終の住処"を訪ねて
  90. ^ a b 岩井 2017b, 位置No. 3971-4024, 第五章 房総での閑日月 - 「若い人が住む場所じゃない」
  91. ^ a b c 岩井 2017b, 位置No. 557-599, 第一章 「弱いものいじめ」が大嫌い - 陽明学徒として


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