城の山古墳
読み方:じょうのやまこふん
新潟県胎内市で発見された遺跡。4世紀前半に建設されたと見られている。
城の山古墳は北陸地方に存在する遺跡でありながら、奈良を中心に栄えた大和政権と深い結びつきがあったことを示す品々が多数発見されている。当時、大和政権の勢力はすでに500キロメートル離れた城の山古墳まで及んでいたことを示す証拠であるといえる。城の山古墳におけるこの発見により、古墳時代の歴史は大きく書き換えられることになる、といわれている。
2012年半ばに城の山古墳から直径10センチメートル程度の銅鏡が出土した。胎内市教育委員会の2013年1月の発表によれば、この銅鏡は中国で3世紀までに製造された「盤龍鏡」だという。
関連サイト:
城の山古墳の副葬品は「盤竜鏡」 - 新潟日報 2013年1月15日
新潟県胎内市で発見された遺跡。4世紀前半に建設されたと見られている。
城の山古墳は北陸地方に存在する遺跡でありながら、奈良を中心に栄えた大和政権と深い結びつきがあったことを示す品々が多数発見されている。当時、大和政権の勢力はすでに500キロメートル離れた城の山古墳まで及んでいたことを示す証拠であるといえる。城の山古墳におけるこの発見により、古墳時代の歴史は大きく書き換えられることになる、といわれている。
2012年半ばに城の山古墳から直径10センチメートル程度の銅鏡が出土した。胎内市教育委員会の2013年1月の発表によれば、この銅鏡は中国で3世紀までに製造された「盤龍鏡」だという。
関連サイト:
城の山古墳の副葬品は「盤竜鏡」 - 新潟日報 2013年1月15日
城の山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 01:39 UTC 版)
城の山古墳(じょうのやまこふん)は、新潟県胎内市にある古墳。形状は円墳。国の史跡に指定されている[1][2]。
- ^ 平成31年2月26日文部科学省告示第20号。
- ^ 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2018年11月16日)。
- ^ “新潟・城の山古墳は前方後円墳 日本海側最北”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2014年11月17日). オリジナルの2014年12月4日時点におけるアーカイブ。 2014年12月4日閲覧。
- ^ “新潟・城の山古墳:「前方後円墳」は誤り 継続調査で判明”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年9月7日). オリジナルの2015年9月8日時点におけるアーカイブ。 2015年9月8日閲覧。
- ^ “中国・大和政権を経て?…新潟の古墳に銅鏡”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年1月15日). オリジナルの2013年1月21日時点におけるアーカイブ。 2013年1月15日閲覧。
[続きの解説]
「城の山古墳」の続きの解説一覧
- 1 城の山古墳とは
- 2 城の山古墳の概要
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