坊院
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阿名院(あみょういん)は本尊を阿弥陀三尊像とする。前身は花蔵院という山伏の寺であったが、長禄年間に廃絶した。その跡に経聞坊の道雅が享禄2年(1529年)に再興した。後に郡上の領主となった遠藤氏から20石の寺領を得ている。長滝の延年で知られる白山長滝神社の六日祭において飾られる花笠は阿名院で作られる。以下の数多くの岐阜県指定文化財を所蔵する。絹本著色十三尊仏像 絹本著色八尊勝王像 絹本著色二尊観音像 絹本著色青不動像 絹本著色不動明王像 絹本著色十二天像 絹本著色涅槃図 絹本著色荒神像 絹本著色如来荒神像 絹本著色泰澄大師像 絹本著色仏眼曼荼羅図 絹本著色不動明王坐像 絹本著色八面荒神立像 絹本著色愛染明王立像 絹本著色歓喜天像 絹本著色日吉山王曼荼羅図 絹本著色弘法大師像 木造阿弥陀如来立像 木造観世音菩薩立像 木造大勢至菩薩立像 経聞坊(きょうまんぼう)は阿弥陀如来を本尊とする。養老3年(719年)に長滝寺に近い民家から絶えず経文が聞こえたため、坊院として加えたと伝わる。寺号はその故事に因んでいる。宝徳2年(1450年)、白川郷の領主である内ヶ島氏の一族が住持を務めたと伝わる。寛永2年(1625年)に郡上藩主の遠藤氏から200石の寺領を与えられるなど篤く保護されたが、後に井上氏によって寺領を没収されている。神仏分離以前は長滝白山神社の社僧であった。 宝幢坊(ほうどうぼう)は聖観音菩薩を本尊とする。もとは養老年間に泰澄が成就院として開いたが、天文2年(1533年)に法灯が途絶えた。その後、永禄2年(1559年)に阿名院道雅の法弟良静により中興、改称される。神仏分離以前は長滝白山神社の社僧であった。
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