坊院とは? わかりやすく解説

坊院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 08:27 UTC 版)

長瀧寺」の記事における「坊院」の解説

阿名院(あみょういん)は本尊阿弥陀三尊像とする。前身花蔵院という山伏の寺であったが、長禄年間廃絶した。その跡に経聞坊の道雅が享禄2年1529年)に再興した。後に郡上領主となった遠藤氏から20石の寺領を得ている。長滝の延年知られる白山長滝神社六日祭において飾られる花笠阿名院作られる。以下の数多く岐阜県指定文化財所蔵する絹本著色十三仏像 絹本著色尊勝王像 絹本著色二尊観音像 絹本著色青不動絹本著色不動明王像 絹本著色十二天像 絹本著色涅槃図 絹本著色荒神絹本著色如来荒神絹本著色泰澄大師絹本著色仏眼曼荼羅図 絹本著色不動明王坐像 絹本著色八面荒神立像 絹本著色愛染明王立像 絹本著色歓喜天絹本著色日吉山王曼荼羅図 絹本著色弘法大師像 木造阿弥陀如来立像 木造観世音菩薩立像 木造大勢至菩薩立像 経聞坊(きょうまんぼう)は阿弥陀如来本尊とする。養老3年719年)に長滝寺に近い民家から絶え経文聞こえたため、坊院として加えたと伝わる。寺号はその故事因んでいる。宝徳2年1450年)、白川郷領主である内ヶ島氏一族住持務めたと伝わる。寛永2年1625年)に郡上藩主の遠藤氏から200石の寺領を与えられるなど篤く保護されたが、後に井上氏によって寺領没収されている。神仏分離以前長滝白山神社社僧であった宝幢坊(ほうどうぼう)は聖観音菩薩本尊とする。もとは養老年間泰澄成就院として開いたが、天文2年1533年)に法灯途絶えたその後永禄2年1559年)に阿名院道雅の法弟良静により中興改称される神仏分離以前長滝白山神社社僧であった

※この「坊院」の解説は、「長瀧寺」の解説の一部です。
「坊院」を含む「長瀧寺」の記事については、「長瀧寺」の概要を参照ください。

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