坂上明兼
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坂上 明兼(さかのうえ の あきかね)、初名中原 明兼(なかはら の あきかね)は、平安時代後期の貴族で、同時代最大の明法家(法学者)の一人。正五位下、明法博士、刑部省大判事。明法道中原氏の流祖中原範政の長男として生まれたが、最晩年に坂上氏の養子となり(もしくは復姓し)、自身は明法道坂上氏の流祖となった。弟は中原範光。子は兼成。明兼が草稿を執筆し嫡子兼成・嫡孫明基が増補校訂して完成させた法学書『法曹至要抄』は、律令格式を基盤としつつも、家学の明法道を援用して当時の社会の実態に即す法理を述べた大著だった。同書は、私撰にもかかわらず、鎌倉時代初期には律令法を事実上代替する公家法の法典として機能し、武家法である鎌倉幕府の基本法『御成敗式目』にも影響を与えた。和歌にも長じ勅撰集『詞花和歌集』『千載和歌集』に1首ずつ入集。
注釈
出典
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