土岐政頼とは? わかりやすく解説

土岐政頼(とき まさより) 1499~1547

二郎 左衛門尉 盛頼 頼純 美濃守
◇父:土岐政房
 第10代美濃守護職に就く。しかし、弟頼芸と対立し、その家臣西村勘九郎(斎藤道三)の攻撃を受け、越前・朝倉氏元に身を寄せたその後朝倉氏援護を受け美濃侵攻するが果たせなかった。後に美濃大桑城迎えられる死去毒殺とも。

土岐頼武

(土岐政頼 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 07:50 UTC 版)

土岐 頼武(とき よりたけ)は、戦国時代の大名で美濃国守護大名である。土岐政房の嫡男で弟に頼芸治頼、揖斐光親らがいる。別名のとして政頼(まさより、「政」は父の偏諱であろう)、盛頼(もりより)が伝わる。次郎と称す。官位は修理大夫。妻は朝倉貞景の三女。子に頼純




注釈

  1. ^ 子の土岐頼純の肖像とする説もある。

出典

  1. ^ 横山住雄「土岐氏の守護館をめぐって」『岐阜史学』71号、1980年。
  2. ^ 横山住雄「土岐頼武の文書と美濃守護在任時期」『岐阜史学』80号、1986年。


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