土屋家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 15:08 UTC 版)
慶長6年(1601年)2月1日、忠政は遠州横須賀藩に移され、翌年7月に土屋忠直が2万石で入った。忠直は天正10年(1582年)、織田信長の甲州征伐で最後まで武田家に忠誠を尽くした土屋昌恒の子である。忠直は慶長17年(1612年)4月9日に死去し、跡を利直が継いだ。利直の時代には、後の正徳の治の立役者である新井白石とその父正済が仕えている。 利直は延宝3年(1675年)閏4月24日に死去し、跡を直樹が継いだ。しかし直樹は延宝7年(1679年)8月7日、狂気を理由に改易された。ただし、先君らの功績を評価されて、土屋家は直樹の長男逵直の家系が3000石の旗本として存続した。土屋家の改易以後、しばらく久留里への入部はなかった。
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