国鉄マロネ40形客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 17:57 UTC 版)
マロネ40形は、日本国有鉄道の前身である運輸省鉄道総局が製造した寝台車両の一形式である。
注釈
- ^ 空調設備事業は分社化されて現在の川重冷熱工業になる
- ^ 1939年に製造されたスイテ37040形(スイテ49→マイテ49形)展望車は車内に換気ダクトを設けるなど冷房装置の取り付けを想定した設計であったが、実際に冷房化されたのは戦後の改装時である。
- ^ 当初の形式図(図面番号VC03233の初案)には2軸ボギーと3軸ボギーが併記されている。「オハ35形の一族」中 p.160参照。
- ^ 新ビスタカー10100系は日立製セントラル式空調を採用した。また、旧エースカー10400系も川崎製(AK-4A形)であるが、のちに三菱電機製の集約分散式に取り替えられている。
- ^ ただし車体長は19,400mmである。
- ^ 当時の日本の航空運賃は所得水準に対して非常に高額だったが、鉄道の1等運賃・料金も3等の3倍近い高額で、航空運賃に匹敵するほど高価であった。その割に設備面では、3等の2倍程度の運賃・料金であった2等車に比べても著しく優位とは言えなかった(個室の有無、寝台幅の違い程度で、1950年代前半では、1等車の冷房装置も全車に普及していたわけではなかった)ため、1等車の利用客はあまり多くなかった(当時の1等車連結列車にはほぼ例外なく2等車も連結されており、どちらに乗ろうが所要時間は変わらない。また当時の特急・急行列車の優等寝台車には、車掌とは別にボーイと呼ばれる接客掛が添乗して旅客サービスを務めたが、このサービスがあるのは1等・2等とも同じである)。この実情を見て、当時、旅行随筆「阿房列車」執筆のために(借金をしてまで)1等車を度々愛用した作家の内田百閒は、「(1等は)ただのお客が多いのだろう」と推察している――つまり自らの懐を痛める1等客は少なく、国会議員が公用支給された国鉄線無料パスで乗っているばかりであったようだ。議員用パスは1等車利用が無制限に可能であり、国会議員はこの特権を公私無関係に行使する事例が少なくなかった。
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固有名詞の分類
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