国連および国際連合ルワンダ支援団の動向
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「公立技術学校の虐殺」の記事における「国連および国際連合ルワンダ支援団の動向」の解説
国際連合安全保障理事会の国の多くがアフリカの紛争に介入する事に消極的だったことが知られている。そんな中ベルギーのみが国際連合ルワンダ支援団に対し確固とした任務を与えることを要求していた。しかし、この事件の数日前に当たる1994年4月7日、アガート・ウィリンジイマナ首相の警護を行っていた平和維持軍のベルギー兵10人が武装解除の末に殺害される事件が発生したことで、同国はルワンダからの撤退を主張するようになった。この国連安保理の意向を受け、国際連合ルワンダ支援団は国連本部から「国際連合ルワンダ支援団はルワンダにいる外国人の避難のみに焦点を当てた活動行うよう」指示を受けた。この指示により、2000人のツチが避難していたキガリの公立技術学校の警護を行っていたベルギーの平和維持部隊は、フツ・パワーのプロパガンダを繰り返し叫ぶ過激派フツに学校を取り囲まれている状況であったにも関わらず、同施設の警護任務を放棄して撤収してしまい、その後校内へ突入した過激派フツにより避難民が一斉に虐殺される結果となった。 十分な兵員も無く、難民救助を行うための明確なマンデート(任務)も与えられなかったとはいえ、国連平和維持軍が避難民を見捨てたことで2000人もの避難民が虐殺されたことで国連の信頼は大きく損なわれる結果となった。なお、その後の4月15日には、安全保障理事会は国際連合ルワンダ支援団を2608人から10分の1近い280人にまで減らすという国連安保理決議第912号を決定し、ルワンダ虐殺期間の国連平和維持軍の活動を著しく抑制している。 また、この事件に関する調査はベルギー政府が要求した後にすら実施されなかったことが知られている。また1997年9月、国際連合ルワンダ支援団司令官であったロメオ・ダレールは、ベルギーの平和維持軍兵士10人が殺害された件についてベルギー議会での証言を要求されたが、コフィー・アナン国連事務総長により同議会での証言は禁じられた。そのため、ダレールによるベルギー議会での証言は行われなかった。
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