商事部門の始動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:55 UTC 版)
田路舜哉は早速、営業部を開設するため、組織、機構、人事を整える作業に着手し、昭和21年1月1日付で、住友本社をはじめ連系各社から転入してくる職員を正式に受け入れ、新しい商事活動の体制を整えた。従来の在籍者と合わせると720名となり、人材の離散を防ぐという第一目的は、とりあえずのところ達成したが、商事活動については、全員が全く未経験であり、何から手をつければよいのか、見当もつかない状態で、先が思いやられる素人集団だった。田路は、折あるごとに社員を集め、叱咤激励した。その際の十八番の台詞は「熱心な素人は怠慢な玄人に優る」。営業社員は、この言葉をきくたびに熱心な素人であるように肝に銘じた。田路は、商事部門が住友の長年の禁を破って発足しただけに「石にかじりついてでも商事部門をつぶしてはならない」と決意をかためた。日建作業の社員は「なんでもよい、商売になるものを見つけ出せ」と商売のネタを探し求めた。当時は、大部分の工場が爆撃を受け、生産活動を開始する段階には程遠い状態で、取り扱うべき商品は何もなく、物価はものすごい勢いで高騰を続け、闇の市場が闊歩している有様だった。最初に活動を開始したのは、被爆した工場に埋没してしまった金属類の回収と、各工場その他の在庫物資の引き出しであった。廃品同様の品物を掘り出し、それらを洗浄して若干の手直しの上、販売するという仕事が、商事発足の初仕事であった。 昭和22年1月、公職追放令の範囲が拡大されて財界にも及んできたため、竹腰健造社長以下3名の役員が退任することになり、3月27日、臨時株主総会後に開かれた取締役会で田路舜哉専務を新社長に選任し、役員陣が一新された。田路舜哉は、昭和7年から6年間、中国の住友上海洋行の支配人を務めた経験があり、役員の中で唯一の商事活動経験者であった。住友全職員の中から、商社社長の最適任者として選ばれた人物であったので、竹腰健造社長辞任の後を受けて社長になることは、予定の筋書きであった。常務時代から営業部の職員に対し、「熱心な素人は玄人に勝る」と営業部員を激励しながら自由な活力を引き出すことに努力した。
※この「商事部門の始動」の解説は、「田路舜哉」の解説の一部です。
「商事部門の始動」を含む「田路舜哉」の記事については、「田路舜哉」の概要を参照ください。
- 商事部門の始動のページへのリンク