和平推進とその後
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日中戦争(抗日戦争)勃発後の1937年(民国26年)に、湖北省政府委員として政界に復帰する。1939年(民国28年)には同省民政庁長に就任する。1940年(民国29年)8月に辞任したが、その後は国民参政会参議員をつとめ、共産党との連携を強めた。1946年(民国35年)には、憲法制定(「制憲」)国民大会代表にも選出されている。 1948年(民国37年)以降は、李書城らとともに「和平促進委員会」を結成し、国共内戦反対の運動を推進する。1949年(民国38年)に武漢を中国人民解放軍が占領すると、張難先はこれを歓迎し、武漢軍事委員会参議に任命された。 中華人民共和国成立後、張難先は中央人民政府委員となる。さらに1950年1月には中南軍政委員会副主席に任命された。1954年には、全国人民代表大会常務委員にも選出されている。 1968年9月11日、北京で死去。享年95(満94歳)。
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