名鉄での淘汰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 00:52 UTC 版)
「名鉄5000系電車 (初代)」の記事における「名鉄での淘汰」の解説
しかし、1980年代に入ると、いかに高性能車両とはいえども非冷房車のままの5000系・5200系は、旅客サービス面から時代に合わないものとなっていた。その上、国鉄の1986年11月1日ダイヤ改正では、東海道本線の快速が日中30分間隔に増発されることになったため、名古屋本線の急行列車の充実を図ることになった。 すでに名鉄ではこれに対応するため、1986年6月からは急行用の車両として5700系を導入していたが、大量の新車を導入することは財政上苦しかったため、5000系・5200系の電装品や台車を使用して5700系と同様の車体を新造した5300系を製造することになった。この5300系に部品を提供するため、1986年3月から5000系の廃車が開始されることになり、同年9月10日には5000系は全廃となった。さらに、5200系についても同年から淘汰が開始され、1987年8月までに5200系も全廃された。なお、5200系淘汰の過程では、中間車のモ5150形を先に廃車にしたため、5201編成・5203編成・5207編成については一時的に2両編成で運用された。
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