反逆罪の適用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 18:30 UTC 版)
尚、ウァレリウス法成立後に行われたカッシウスの裁判について、詳細はわからないものの、一説によればクァエストルによって反逆罪に問われ、民衆によって有罪判決を受け、屋敷も取り壊されたという。 カッシウスより後に恐らくウァレリウス法違反に問われ死刑に処されたマルクス・マンリウス・カピトリヌスの例では、リウィウスはもう少し詳細に経緯を書き残してくれている。マンリウスは護民官によって告発され、通例であれば被告と共に喪服を着て同行する親しい氏族はおらず、自らの救った人々を多数証人として呼び、自らが弁護の演説を行い、そしてカンプス・マルティウスでケントゥリア民会の投票が行われ (実際には延期され別の場所で再投票が行われたが)、有罪とされタルペーイアの岩から突き落とされ処刑されたという。
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