南部への広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 08:44 UTC 版)
「サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン」の記事における「南部への広がり」の解説
ムハンマドはソマリア南部でも協力者を募り、ダロッドの支族マレハン族 (Marehan) を参加させるのに成功した。マレハン族が居住しているのはバルデラ}からドーロあたりにかけてのジュバ川流域と、その南部にあるタナ川(現ケニア) (Tana River) の間の辺りであり、この協力によりソマリア南部もダラーウィーシュの領域に入ることになった。ただしマハレンは支族同士の勢力関係が複雑で、マハレンの支族レル・グリ(Rer Guri)はジュバ川からタナ川にかけての草原で放牧生活をしていたが、北部に住む別のマハレンの支族ガルティ(Galti)とは対立関係にあった。また、ゲド地区北部で首長をしていたアリ・デーレ(Ali Dheere)とレル・グリとは協力関係にあった。このような事情もあり、また、マハレンはそれまで大きな戦闘とは無縁であったため、イギリス軍やエチオピアを背後から牽制できるほどの力にはならなかった。また、ムハンマドは自身の出身氏族オガデンについても全ての部族から協力を得ているわけではなかった。
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