南海1251形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:36 UTC 版)
南海1251形電車(なんかい1251がたでんしゃ)は、南海電気鉄道に在籍した電車の1形式である。正式にはモハ1251形と称した。本稿では本形式をはじめとする15m標準車[1]について述べる。
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- ^ 南海が昭和初期から戦後にかけて同様式で大量に製作した車体長15m級の半鋼製車体をもつ電車形式群の総称である。
- ^ 当時は車両の新造は国に申請したうえでその認可を得る必要があったが、申請しても必ず認可されるとは限らなかった。そこで、車両を新造するにあたって廃車予定の車両の車籍を生かしたままその車両を改造(「鋼体化」「事故復旧」「戦災復旧」など)したことにしていたのである。
- ^ 復旧対象となった戦災車・事故車は15m標準車以外にも木造車・簡易半鋼車・クハ1851形(3扉の15m級半鋼製車、旧・クハユニ505形)・加太電気鉄道から引き継いだ小型車と多岐に及んだため47両の多数が製作された。これは古い木造車などから発生した台車や台枠を可能な限り利用することを考慮すると、車重が小さい15m級車体以外の選択肢が事実上存在しなかったためである。
- ^ 低圧バッテリーを電源とするWH社製のHB制御器を搭載しており、このバッテリーの保守に手を焼いたと伝えられている。
- ^ 123は電装を外して付随車化、124・126は主電動機を大出力のGE-244-Aに換装、3両とも台車を乗り心地の良さで定評のあったBrill 27-MCB-2に交換したが、これらはお召し列車使用後すぐに元に復されている。
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ5 南海電気鉄道 上巻』、関西鉄道研究会、1996年12月、p.114。
- ^ 吉雄永春「ファンの目で見た台車の話 XI」『レイルNo.35』、エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1997年6月、p.55。
- ^ 1958年以降、ダイヤの都合から足の速い21000系と混用する必要が生じ、大運転に充当される旧型車各形式について特に平坦線区間での速度向上が求められた。
- ^ 1282・83はクハ1831形1834・38より電装されてからわずか1か月足らずでの被災であった。これら3両の主要機器は再生され、翌1957年に南海線11001系を17m級に短縮した形状の車体を新造し、予備部品流用による中間電動車1両を追加の上で21201系4両1編成として大運転に復帰した。
- ^ ただし全車とも途中で改番が実施されており、旧番号はそれぞれ
モハ1261←モハ132←モハ122
モハ1262←モハ511←モハ131←モハ121(ちなみにこの車両の車籍をさらにさかのぼると電1形1にたどりつく)
モハ1263←クハ1881←クハ715
となる。 - ^ 貴志川線では両運転台の電動車を8両必要としていたが、モハ1051形は7両しかなかったことと、1055は以前に施行された車体更新の際に片方の運転台を撤去していたことから、このような改造が行われた。
- ^ 1279-1271-1864-1274の4両編成。
- 1 南海1251形電車とは
- 2 南海1251形電車の概要
- 3 形式と変遷
- 4 終焉
固有名詞の分類
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