加藤唐九郎
加藤唐九郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 07:21 UTC 版)
加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30年)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31年)1月17日)[1] - 1985年(昭和60年)12月24日[1])は、日本の陶芸家、陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、1960年に永仁の壺事件で古瀬戸の大規模な贋作を行っていたことが発覚し、批判を受ける[注釈 1]。事件後は公職を辞任し、作陶に専念した。建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出、陶壁は唐九郎による造語である。
注釈
- ^ 山田風太郎が「この事件の後、重要文化財級の作品を作れる男として加藤の名声はかえって高くなった」と自著で述べているように、批判のみならず高い技量を評価する意見も見られた[2]。
- ^ 父の唐九郎とは不和で、永仁の壺事件を機に決裂し、のちに妻の実家の岡部姓を名乗るようになる[3]。
- ^ 『陶器大辞典』全6巻(陶器全集刊行会編・発行、1934年 - 1936年)を整理縮小し1巻本としたもの[8]。
- ^ 1937年版『新撰陶器辞典』の増補改訂版。増補部分に「鎌倉時代 瀬戸瓶子」(いわゆる永仁の壺)と「古瀬戸 柳文花瓶」(のちに永仁の壺同様、唐九郎自身による贋作であることが発覚する)の原色写真が含まれている。永仁の壺の写真は内容見本にも使用された。永仁の壺事件発覚後、唐九郎は、自分は増補部分には関与していないと釈明しているが、真偽は不明[9]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “加藤唐九郎 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年9月22日閲覧。
- ^ 山田風太郎「人間臨終図巻」徳間書店 2011年(平成23年)新装版、第4巻、325頁
- ^ 松井 1995, p. 169.
- ^ 松井 1995, p. 100.
- ^ 松井 1995, pp. 76–77.
- ^ “中日文化賞 受賞者一覧”. 中日新聞. 2022年5月16日閲覧。
- ^ 松井 1995, p. 257.
- ^ 松井 1995, p. 72.
- ^ 松井 1995, pp. 72–77.
- 1 加藤唐九郎とは
- 2 加藤唐九郎の概要
- 3 編・著書
- 4 外部リンク
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