創立・再建とは? わかりやすく解説

創立・再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 20:03 UTC 版)

興譲館 (米沢藩)」の記事における「創立・再建」の解説

1697年元禄10年6月15日上杉綱憲以前から孔子祀る行事である釈奠行っていた儒臣矢尾板三印邸宅学問所設置同年11月29日には同じ邸内釈奠会場となる聖堂完成させ、翌年3月22日には綱憲臨席のもとで釈奠実施されて、以後ここで藩士子弟教育を行わせたが、これが興譲館前身となる。しかし、米沢藩財政窮乏により、1724年享保9年)に藩による釈奠中止され以降矢尾板に代わって藩士子弟教育行っていた片山家私的行事として釈奠自分釈奠が行われることになる。ただし、歴代藩主中には釈奠再興を願う者もおり、財政状況が最も悪化していた時の藩主上杉重定片山家自分釈奠の際には秘かに供物贈ったという。 1770年明和7年)に治憲が釈奠継承していた儒臣の片山一積を呼んで勧学についての意見聴取した上で藩校設立必要性強く認識する1775年安永4年)に奉行吉江輔長(喜四郎)が頭取小姓頭莅戸善政御用掛に任命され細工町片山塾を基に学問所再建することになった。治憲は「新たに事を取り立てるより、廃れたるを興す人情いつも平なるものなり」という立場から、学問所普請加えて再建する方針をとった。 その後片山一積と神保綱忠が提学、莅戸善政総監となり、1776年安永5年4月19日落成した以後幕末まで米沢藩教育機関として機能した

※この「創立・再建」の解説は、「興譲館 (米沢藩)」の解説の一部です。
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