創生期(1980年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 18:47 UTC 版)
「アダルトゲーム」の記事における「創生期(1980年代)」の解説
最も古い日本製アダルトゲームは、シャープのMZ-80K・MZ-700向けにハドソンが1981年に発売した『野球拳』とされている。登場人物はキャラクターグラフィックで描かれていた。 1981年には、テキストベースのアダルトゲームソフトポルノ・アドベンチャーがシエラエンターテインメントよりリリースされた。1982年には、MystiqueがBeat 'Em & Eat 'Em, カスターズ・リベンジ, Bachelor Partyをリリースした。1983年にはX-Man、Swinging SinglesやStrip Poker: A Sizzling Game of Chanceがリリースされた。 1982年(昭和57年)から1983年にかけて、パソコンショップを経営していた光栄マイコンシステム、九十九電機、PSK、CSKなどがアダルトゲームの制作・販売をしていた(ストロベリーポルノシリーズなど)。エニックス など後にコンシューマーゲームで名をはせるソフトメーカーから、ポニカなど映像・音楽ソフトメーカーもアダルトゲームの制作・販売に参入し、より性的な内容に特化したソフトウェアの開発が進み、1983年には10本以上のアダルトゲームが発売された。チャンピオンソフトから初のアダルトゲーム『アタックひろ子ちゃん』が発売されたのもこの年である。1985年(昭和60年)、現在のアダルトゲームの元祖といわれる『天使たちの午後』(ジャスト)が登場し、アダルトゲームにキャラクター性とストーリー性を盛り込むという形式の原型が生まれた。 同時代にこの他に脱衣麻雀に代表される「コンピューター版野球拳」などのゲームもあり、ゲームの内容とは無関係に性的画像を表示させ、その一点のみをもってアダルトゲームに分類されていた製品もみられる。このジャンルでは1983年(昭和58年)の『ジャンゴウナイト』(日本物産)が、アーケードゲーム初の脱衣麻雀として登場し、「脱衣もの」というジャンルが確立された。 この時代、一般社会においてアダルトゲームは特殊な再生媒体によるポルノ作品として認識され、その存在は「ほぼ無視ないし無名」という状態であった。このため業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、各企業の裁量に任されていた。1986年(昭和61年)に、刑法177条の強姦罪からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト)が、草川昭三により国会で取り上げられて 次第にアダルトゲームは問題視され、1988年(昭和63年)の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によりポルノ業界へ批判が増した。
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