制作後のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:15 UTC 版)
「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の記事における「制作後のエピソード」の解説
押井は本作を完成した後、『うる星やつら』テレビシリーズのチーフディレクターを降板し、同時にスタジオぴえろを退社。後任のチーフディレクターはやまざきかずおに、制作スタジオは本作の実質的な現場であり、それまでテレビシリーズのグロス請けも行っていたスタジオディーンに託された。テレビアニメのシリーズ途中でのメインスタッフの交替は異例であった。後年のインタビューでは、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が高い評価を受けたことでイケイケになってしまい、監督としての良い意味でも悪い意味でも自信がついたため独立したと語っている。このあと押井は自分の意見ばかりを主張するようになってしまい、新作(OVA『天使のたまご』他)は難解で、映画関係者は離れていった。その後もマニアックかつ独創性の強すぎる作品ばかりを企画するが、制作サイドが難色を示して取り合ってもらえず、苦しい生活は3年続くことになる。 主題歌を歌った松谷祐子は、映画公開中に『ザ・トップテン』(1984年2月27日放送)の「話題曲コーナー」に出演し、「愛はブーメラン」を歌った。彼女が歌謡番組に出演することは珍しかった。なお番組に同時に出演したのは、チェッカーズであり彼らにとっても初出演であった。同時期に、安田成美も『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーにおいて、イメージソング「風の谷のナウシカ」を歌っており、当時レコード会社がアニメ映画の主題歌やイメージソングを、こうした形でプロモーションしていたことがわかる。 宮崎駿の長男の宮崎吾朗は当時、父の作品『風の谷のナウシカ』よりも『うる星やつら2』のほうが好きだったと話している。
※この「制作後のエピソード」の解説は、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の解説の一部です。
「制作後のエピソード」を含む「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の記事については、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の概要を参照ください。
- 制作後のエピソードのページへのリンク