ザ・トップテンとは? わかりやすく解説

ザ・トップテン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 01:30 UTC 版)

ザ・トップテン』(THE TOP10)は、1981年4月6日から1986年3月31日まで日本テレビ系列局で毎週月曜日 20:00 - 20:54 (JST) に生放送されていた音楽番組。5年間における放送回数は256回。


注釈

  1. ^ 規模を縮小した形ながらスタジオ内に観客席を仮設して公開放送を実施した。なお、セットやステージの配置は渋谷公会堂とは逆(渋谷公会堂は中央がステージで上手袖にエレベーターと司会進行のコーナーだったが、Gスタジオは下手側にエレベーター・司会進行のコーナー・スタジオサブのセットを配置していた)になっており、スタジオサブもこの時に限り同じスタジオから放送していた。
  2. ^ 当時は関東地方ではテレビドラマの再放送枠であった。
  3. ^ ただし、別番組の仕事でフジテレビ本社(当時、新宿区河田町)にいる場合は同局から中継することがあった(一例:1983年10月31日の放送では、第3位に入った松田聖子が『新春スター・かくし芸大会』の収録で来局していた)。
  4. ^ 夏期(4月 - 9月)のみの提供スポンサー。なお、コカ・コーラなどの自社製品はプレゼントされなかった(当時ペットボトルの製品が無かった事や保存が利かない関係と思われる)。
  5. ^ 冬期(10月 - 3月)のみの提供スポンサー。
  6. ^ 春秋の改編期や年末年始時期に拡大スペシャルを放送する際は、19:00 - 19:30はその枠のスポンサー、19:30 - 20:00は当時この枠を一社提供していたロート製薬が担当するが、これらのスポンサーからはプレゼントは出なかった。なお19:30からの拡大スペシャルでは、ロート製薬のオープニングキャッチは行わなかった。
  7. ^ 当時テレビ朝日系列局が少なかったため、日本テレビ系列局でもテレビ朝日系列とのクロスネット局や、同系列局不在地域の系列局では、『ドラえもん』を遅れネットしていた局もあった。
  8. ^ 19:00から放送しなかったのは、この日よりテレビアニメ『忍者マン一平』が開始されたため。なお19:30放送予定の『勝抜きドンドン歌合戦』は、翌11日に延期した。
  9. ^ ただし、年に1回の地方公開生放送があった。
  10. ^ 木造式で、背面のシャフトの二階部分とかごの壁が舞台裏側から通じる二重扉となっており、歌手はそこから入って待機していた。エレベーター自体は裏にいるスタッフが手動で操作していた。大人数のグループを全員載せるまでの耐荷重は無いため、その場合は代表で2〜3人がエレベーターで登場し、その他のメンバーは舞台袖からそのまま登場していた。
  11. ^ 2週1位を獲得したあと、近藤真彦「ヨコハマ・チーク」に1位を明け渡すが、翌週1位に返り咲き、そこから10週連続1位を記録。
  12. ^ 同日はテレビ長崎でのネットを開始した日でもあった
  13. ^ 前番組『紅白歌のベストテン』(「ウソ発見器」のナレーションや代理進行役等を務めた)にも出演していた関係で、最初に振ったときに「堺さん」と発し、速報を伝えた。本編最後の速報の後に小倉が「小林さん、ありがとうございました」の後、視聴者プレゼントのお知らせをした。
  14. ^ この番組の放送開始前(20時)の18時56分には既に御巣鷹の尾根高天原山)へ墜落していたが、夜間帯で墜落場所が特定できなかった上に20時の段階では墜落は未確定だった。本番組内ではアメリカ空軍横田基地(緊急着陸の受け入れ準備をしていた)から運輸省に入った連絡(炎上する飛行物体を目撃した)や長野県警に入った住民からの目撃情報(群馬県と長野県の県境付近に飛行物体が墜落した)などを伝えた。
  15. ^ 2回目(20時20分頃)の速報で長野県警が「長野県南佐久郡北相木村で墜落した事を確認した」と伝えた。3回目の速報(20時40分頃)は2回目と同じ内容を伝えたが、4回目の速報(20時50分頃)では「北相木村と川上村の間のぶどう峠付近に墜落」と伝えた。
  16. ^ 放送中にこのニュースに関連した堺からのインタビューで当日飛行機で札幌から上京したことを明かした。なお、小泉が搭乗していたかどうかは不明だが、当日の札幌羽田JAL504便の機体は同墜落事故の当該機(JA8119)であった。
  17. ^ 沖縄テレビ(遅れネットで放送)での対応については不明。
  18. ^ それまではフジテレビ連続ドラマを放送していた。
  19. ^ 鹿児島放送の開局でテレビ朝日系列の番組(『ワールドプロレスリング』を遅れネット)が同局へ移動したことによって放送を開始。KTSでのネット開始をもって当時の日本テレビ系列全局にネットされることになった。
  20. ^ 週末(土曜16:30-17:24)に遅れネット。尚、ネット開始以前から沖縄県内の中継を担当、リポーターも寺田麗子、中安章雄等の沖縄テレビのアナウンサーが担当していた。
  21. ^ 1981年の放送回は文字テロップが表示された当時のまま放送されている。
  22. ^ 後番組『歌のトップテン』も本番組に続き日テレプラスで放送されたが、こちらは日テレプラス放送終了後、2011年7月から12月まで歌謡ポップスチャンネルで放送された。
  23. ^ 2012年6月には歌謡ポップスチャンネルでも『歌のトップテン』10回分の一挙放送が行われた。
  24. ^ 小倉淳が第23回参議院議員通常選挙(2013年7月21日投開票)に日本維新の会公認で東京選挙区から出馬し(結果は落選)、公職選挙法などへの配慮から徳光和夫が務めた回に差し替えた。
  25. ^ 同枠では2014年9月中旬より『THE夜もヒッパレ』が放送された。

出典

  1. ^ Pen阪急コミュニケーションズ)2016年5月15日号 p.68 - 71「一世風靡したザ・ベストテンとザ・トップテン」
  2. ^ この時は当時主演を務めていた『ピーター・パン』(同舞台は郁恵を初代にホリプロ所属タレントが代々座長となるピーター・パン役を務めている)の公演期間終了後に夏季休暇を取得した。
  3. ^ a b ザ・トップテン || ファミリー劇場
  4. ^ 特集:バック・トゥ・ザ・昭和 > トップアイドル編 ファミリー劇場、2013年4月
  5. ^ http://www.vap.co.jp/momoko/






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