利休後の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:31 UTC 版)
古田織部、小堀遠州らも茶室を造っている。茶室は小さな空間であるが、様々なパターンがあり、多様な展開を見せている。利休の孫宗旦は究極の侘びを追求して、利休が試みてすぐ廃した一畳台目という極小の茶室を生み出した。これに対して、古田織部、小堀遠州、織田有楽、金森宗和ら大名茶人は、武家の格式を持つ書院風茶室や小間と言えど三畳前後のゆとりのある茶室を生み出した。千家歴代もそれぞれに新たな茶室を好んで(=創って)いるが、その試みは必ずしも宗旦が目指した侘びに徹したものとはなっていない。 茶室は小規模でもあり、解体して他の場所で再建することも比較的容易である。現に如庵(国宝)は、京都の建仁寺から東京の三井家、大磯の三井家別荘、犬山の名鉄有楽苑、と度々移築されている。また「写し」と称して、名席と評される茶室を模して建てられることもしばしばある。
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