内戦終結以降
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1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかったが、2000年代にはいると徐々に過去の弾圧を国内の裁判にて訴えるケースが見られるようになった。2009年には元軍人が農民を行方不明にさせた罪で禁錮150年の判決を受けたことを皮切りに、2013年には元大統領であるエフライン・リオス・モントがジェノサイドの罪と人道に対する罪で禁錮80年の判決を言い渡され収監されている。
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内戦終結以降
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「エルサルバドルの歴史」の記事における「内戦終結以降」の解説
ファラブンド・マルティ民族解放戦線は政党として1994年エルサルバドル大統領選挙(英語版)でルベン・サモラ(英語版)を推したが、民族主義共和同盟(英語版)のアルマンド・カルデロン・ソル(英語版)が当選した。カルデロンは任期中に大型国有企業の民営化など新自由主義の政策を実施した。1997年エルサルバドル議会選挙(英語版)と地方選挙では民族解放戦線の候補がサンサルバドル市長に当選するなどして党勢が回復したが、大統領候補の選出時に分裂の様相を呈したことで不利になり、1999年エルサルバドル大統領選挙(英語版)では民族主義共和同盟のフランシスコ・フローレス・ペレス(英語版)候補が大差で当選した。 2004年3月21日に行われた2004年エルサルバドル大統領選挙(英語版)では民族主義共和同盟の候補が三たび当選、アントニオ・サカが大統領に就任した。また同選挙ではアナ・ビルマ・デ・エスコバル(英語版)が副大統領に当選し、エルサルバドル初の女性副大統領になった。さらに国家連合党(英語版)、キリスト教民主党(英語版)、民主変革(英語版)が得票率3%を獲得できず政党要件を失った。 平和協定の後、立法議会が恩赦を議決したため、戦前、戦中、戦後に行われた戦争犯罪が裁かれることはなかった。また、エルサルバドルのアメリカ不法滞在者が追放され、帰国して犯罪に手を染めるようになったため、エルサルバドルでは「マラス」(Maras)が問題になり、ラ・マノ・ドゥラ(英語版)やマノ・スペルドゥラ(Mano Superdura)といった対策の試みはことごとく失敗した。 エルサルバドルの外貨獲得元は外国に滞在するエルサルバドル人からの送金が主であり、20億ドル以上と概算されている。外国滞在のエルサルバドル人は200万人以上であり、アメリカ、カナダ、メキシコ、グアテマラ、コスタリカ、オーストラリア、スウェーデンが主な滞在国である。 2009年エルサルバドル大統領選挙(英語版)では民族解放戦線の候補で元ジャーナリストのマウリシオ・フネスが当選、エルサルバドル初の左翼政党出身の大統領になった。彼は副大統領に当選したサルバドール・サンチェス・セレンとともに2009年6月1日に就任した。
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