兵政官長任命と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 06:42 UTC 版)
天武天皇4年(675年)3月16日に、諸王四位の栗隈王が兵政官長に、大伴御行が大輔に任じられた。 天武天皇5年(676年)6月、四位で病死した。『続日本紀』『新撰姓氏録』に贈従二位とある。なお、『姓氏録』を基に栗隈王の父を難波皇子とする説が広く行われているが、二者の活動年代には隔たりが大きく(約80年)、父子関係を疑問視する向きもある。この場合、『公卿補任』『尊卑分脈』の記載から、難波皇子と栗隈王の間に「大俣王(おおまたのおおきみ)」を1代補うことが出来る。
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