共同デスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/28 15:25 UTC 版)
広域取材が必要な場合は、「共同デスク」を組み、各学生新聞が分担して取材を行うこともあった。原水爆禁止世界大会では、1967年まで毎年共同デスクを組んで取材をしていた。 1967年11月12日の第二次羽田闘争では、「共同デスク」が組まれた。「一橋講堂」を本部として、多数の学生新聞が参加して分担取材が行われた。その前の10月8日の第一次羽田闘争では、自然発生的な「共同デスク」が組まれ、この日の機動隊による暴力をもってのデモ抑圧とそれがもたらした山崎博昭君の死に対しては、全学新としての抗議声明を出している。
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