民主主義科学者協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 04:34 UTC 版)
民主主義科学者協会(みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい)は、かつて存在した日本のマルクス主義者が中心となった研究者の団体で、事実上の日本共産党傘下の組織。略称は民科(みんか)。「民主主義科学」「国民的科学」の発展をはかることを目的としていた。全国、分野横断学術団体としてはすでに消滅しているが、後述のように分野別、地域別組織としては21世紀の今日まで活動を継続しているものもある。
注釈
- ^ 1947年2月から1950年6月まで、日本評論社発行。
出典
- ^ a b 日本科学史学会 年表(1941-1990)
- ^ a b c 「戦後における知識人の思想と政治――憲法問題研究会を中心に――」 邱静 2007年9月
- ^ 民主主義科学者協会の結成日本におけるマルクス主義法学
- ^ 民主主義科学者協会コトバンク
- ^ 法政大学大原社研_戦後_社会運動団体関係機関紙誌(所蔵図書・資料の紹介)47
- ^ 京都民科歴史部会サイト
- ^ 労働運動史研究会の25年
- ^ 農林水産関係試験研究機関総合目録
- ^ 農業理論研究会五十年のあゆみ 農業理論研究会サイト
- ^ 「蚕糸技術」最終号(2001年3月)
- ^ 滋賀児童言語研究会
- 1 民主主義科学者協会とは
- 2 民主主義科学者協会の概要
- 3 参考文献
民主主義科学者協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 05:12 UTC 版)
「国民的歴史学運動」の記事における「民主主義科学者協会」の解説
民科は、戦前の科学ならびに科学者の姿勢に批判的な研究者が中心となり、1946年に180名の会員をもって設立された団体である。設立当初は、戦前の科学が有していた権力に対する無関心もしくは迎合的姿勢や、科学者組織・学界の階層性、民衆に開かれていない科学の閉鎖性などを指摘・批判した。 民科はこれに代わる今後の科学のあり方として、包括的に「民主主義科学」を対置し研究を進めてゆき、1950年頃には最盛期を迎え、114の地方支部、1772名の専門会員、8243名の普通会員を擁し、研究者のみならず一般市民や学生なども加入する、一大学会にまで上り詰めることとなる。米軍占領期にあって、民科が学界や言論界に与えた影響は大きかったが、創設時点ではいまだ民族性は皆無であった。
※この「民主主義科学者協会」の解説は、「国民的歴史学運動」の解説の一部です。
「民主主義科学者協会」を含む「国民的歴史学運動」の記事については、「国民的歴史学運動」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 民主主義科学者協会のページへのリンク