六角時信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 21:54 UTC 版)
六角 時信(ろっかく ときのぶ)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将・守護大名。近江国守護。佐々木氏嫡流六角氏3代当主。佐々木時信とも呼ばれる。
注釈
- ^ a b 『尊卑分脈』等の系図類では頼綱を父とするが、頼綱の子の盛綱(もりつな)の子で、(祖父である)頼綱の養子になったとの説もある[2]。実際、頼綱とは64歳離れているが、時信の生まれた当時はまだ頼綱は存命であったため、父子関係でも矛盾はない[3]。
- ^ 盛綱とも。
- ^ 『尊卑分脈』に「家記曰徳治元生 正和三十二十四元服九歳」(※「徳」は本来は彳にヒヒ(能の右側)と書く異体字)とある。
- ^ 「時」の字は、これまでに佐々木氏・六角氏でこれを用いた者がいないことから、これを通字とする北条氏から賜ったものと考えられ(→佐々木頼綱を参照[4][5])、当時の得宗家当主・北条高時より拝領したものとみられる[6]。もう一方の「信」の字は曽祖父・佐々木信綱にちなむ六角氏の通字の1つである。尚、早世した兄らも得宗家を烏帽子親としていたことがうかがえる[7]。
- ^ 宮方に降伏した時に出家して家督を氏頼に譲ったとする『近江蒲生郡志』の説があるが、建武元年8月における雑訴決断所の名簿に「佐々木備中大夫判官時信」の名前が見られることから、この時にはまだ出家していないことが判明する[8]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 安田 & 1990年, p. 242, 勝山清次「佐々木時信」
- ^ a b 「佐々木時信」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。
- ^ 紺野 1979, p. 17.
- ^ 山野龍太郎 著「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」、山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』思文閣出版、2012年。
- ^ 田中大喜 編『下野足利氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻〉、2013年。
- ^ 紺野 1979, p.15系図・p.17.
- ^ 紺野 1979, p. 21.
- ^ 新谷和之「南北朝・室町期における六角氏の家督と文書発給」川岡勉 編『中世後期の守護と文書システム』思文閣出版、2022年、P59.
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