八木直道
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松本と同じく妙信講と行動を共にした八木直道(やぎじきどう)元・要行寺住職(静岡県富士宮市)も、日蓮宗富士派時代の1910年に出家得度した宗内最古参の僧侶の一人であったが、1974年10月15日に擯斥処分となった。擯斥処分当時は隠居の身であった。もっとも彼の場合は、創価学会のありかたに対する憂慮から正本堂に対し疑問の声をあげたのであって、必ずしも国立戒壇論そのものには固執していなかった。顕正寺の落成後、彼は妙信講を頼り、顕正寺住職に就任した。しかし、浅井昭衛にとってみれば、寺院住職を自らの指導教師として仰ぐなどという心情は全くなかった。結局、八木は間もなく顕正寺を退出した。なお、1985年には、自らの非を日蓮正宗法主に謝罪したことが認められ、日蓮正宗に復帰している。その後、養子であった八木日照(元・大石寺主任理事、現・日蓮正宗総監)が住職をしていた大石寺妙泉坊で隠居、1995年9月、98歳で逝去。
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八木直道(やぎ なおみち)
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「妻をめとらば」の記事における「八木直道(やぎ なおみち)」の解説
竹下証券での八一の先輩(竹下証券渋谷支店)。西北大卒。全社レベルのトップセールスだったが、ノルマ達成のために客の株を、承諾なしに勝手に売買し当てが外れ、補填のめどが立たず、失踪。
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