八上・神尾山両城の戦いとは? わかりやすく解説

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八上・神尾山両城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 23:50 UTC 版)

桂川原の戦い」の記事における「八上・神尾山両城の戦い」の解説

香西元盛管領細川高国家臣だったが、同族細川尹賢讒訴信じた高国によって、大永6年1526年7月13日自害させられた。これに対して香西元盛2人の兄弟波多野元清柳本賢治は元盛が自害させられたことを知り丹波八上城神尾山城両城反旗を翻した10月23日、これに驚いた高国は、神尾山城総大将細川尹賢軍を、八上城には瓦林修理亮、池田弾正等を差し向けそれぞれの城を包囲したまた、10月28日には将軍義晴の名で若狭守護である武田元光救援要請する使者送っている(『実隆公記』)。 その後小規模な戦闘続いていたが、波多野元清同情的であった丹波守護代内藤国貞は、11月5日神尾寺城包囲軍から離脱したまた、11月30日黒井城赤井五郎3000の兵を率いて神尾寺城包囲軍の背後から攻撃し赤井軍にも損害がでたが、包囲軍を破っている。 この敗報知った八上城包囲軍も翌12月1日囲み解いて退却した。この退却途中阿波守護細川晴元通じていた池田弾正は瓦林修理亮らに矢を射かけ、細川尹賢軍は京へ逃走した

※この「八上・神尾山両城の戦い」の解説は、「桂川原の戦い」の解説の一部です。
「八上・神尾山両城の戦い」を含む「桂川原の戦い」の記事については、「桂川原の戦い」の概要を参照ください。

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