党の分裂と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:50 UTC 版)
2007年、第2次プロディ政権がレバノン侵攻に対する平和維持軍への参加、及びISAFに対する派兵継続を決定するとヨーロッパ各国の極左勢力から厳しい批判が行われた。再建党でも連立離脱を求める動きが起き、3度目の党内対立が発生した。党指導部は連立残留を決定したが、トロツキストの大部分が離反してイタリア労働者共産党(英語版)、共産主義者新党(英語版)、批判的左翼などが相次いで分離した。 2008年、政権基盤が弱体化した第2次プロディ政権は総辞職に追い込まれた。同年の総選挙で再建党はイタリア共産主義者党、民主的左翼、緑の連盟と独自の選挙連合「虹の左翼」を結党したが、得票率は選挙連合全体で3.1%に留まる惨敗に終わり、阻止条項規定によって加盟政党は全議席を喪失した。敗北の責任を取ってベルティノッティは政界を引退、ジョルダーノも書記長を辞任した。後任の書記長は急進運動の統一戦線を目指すニチ・ベンドラ(英語版)元州知事に対し、伝統的な共産主義政党への回帰を主張する旧コッスタ派に近いパオロ・フェレーロ(英語版)元大臣が対抗馬に出馬し、僅差でフェレーロが第4代書記長に選出された。 2009年、ベルティノッティ派は左翼のための運動(英語版) (MpS)を結党、後に同党は左翼・エコロジー・自由(SEL)に再編された。再建党もコッスタ派の共産主義者党と選挙連合「反資本主義者・共産主義者リスト(英語版)」を結成したが、同年の欧州議会選挙では得票率3.4%に留まり、議席は獲得できなかった。2012年、反資本主義者・共産主義者リスト(英語版)は左翼連盟(英語版)として継続されていたが、同年に活動を停止した。2013年、総選挙で中道政党の価値あるイタリア(IdV)と選挙連合「市民革命(英語版)」を結成したが、得票率は2.2%に留まった。
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