光雲院とは? わかりやすく解説

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光雲院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 08:08 UTC 版)

光雲院(こううんいん、1704年10月7日宝永元年9月9日) - 1725年9月13日享保10年8月7日[1])は、江戸時代中期の女性。尾張藩第6代藩主・徳川継友正室。父は近衛家熙。別名は安己君(あこぎみ)。

生涯

父は関白近衛家熙。母は町尻兼量の娘・量子。また大奥の実力者である近衛熙子(天英院)の姪であり、姉・近衛尚子中御門天皇の女御である。1718年享保3年)、尾張藩第6代藩主・徳川継友正室となるが、継友との間に子供はできなかった[2]

1725年享保10年)、死去。享年22。法号は光雲院高巌永照大姉。墓所は東京都港区虎ノ門天徳寺。また京都府京都市の西王寺[3]

脚注

  1. ^ 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.216
  2. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月22日閲覧。
  3. ^ 豫楽院 : 近衞家凞公年譜稿(四)”. 京都大学. 2023年5月22日閲覧。

 




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