先駆者および組織
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「ナッシュビル座り込み」の記事における「先駆者および組織」の解説
ナッシュビル・キリスト教指導者会議(NCLC)はキャピトル・ヒルのファースト・バプテスト教会のケリー・ミラー・スミス牧師によって創立された。この組織はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの南部キリスト教指導者会議の支部で、アフリカ系アメリカ人の公民権を非暴力での市民的不服従で振興するために創立された。スミスはアフリカ系アメリカ人が彼らの権利を獲得するためには司法制度を通すよりも平和的なデモ行動を起こす方がアメリカ人の人種差別撤廃への同情をひくと信じていた。 1958年3月26日から28日、NCLCは人種差別に対抗する非暴力の戦術の多くのワークショップの第1回を行なった。これらのワークショップは、インドでの布教活動の行なっている間に非暴力の抵抗の原理を研究していたジェイムス・ロウソンによって先導された。このワークショップには主にフィスク大学、テネシー農工大学(現テネシー州立大学)、アメリカン・バプテスト神学校(現アメリカン・バプテスト大学)、メハリー医科大学の学生達であった。ロウソンのセッションに参加した学生達の中にはマリオン・バリー、ジェイムス・ベヴェル、バーナード・ラファイエット、ジョン・ルイス、ダイアン・ナッシュ、C・T・ヴィヴィアンなど後に公民権運動の重要なリーダーとなる者達が含まれていた。 これらのワークショップの最中、彼らの抗議行動の最初のターゲットをダウンタウンのランチ・カウンターに定めた。当時アフリカ系アメリカ人はダウンタウンの店舗で買い物をすることはできたが、店内で食事をすることは許されていなかった。ランチ・カウンターは人目につき、簡単に行くこともできるため彼らはこの場所を選び、不平等に対抗する南部の黒人達の苛酷な毎日が始まった。 1959年終盤、ロウソンとNCLCのメンバーはデパートのオーナーのフレッド・ハーヴェイとジョン・スローンにランチ・カウンターでアフリカ系アメリカ人に快く接客してくれるかどうか尋ねたが彼らは拒否し、もしその店員がアフリカ系アメリカ人に接客したら彼らは職を失うと答えた。学生達は座り込み抗議行動に適した場所を探し始め、11月24日、ナッシュビルのダウンタウンのハーヴェイズ・デパートメント・ストアで最初の試験的座り込みを始め、12月5日、ケイン・スローンでの座り込みに続いた。少人数の学生達のグループが店舗で買い物をし、ランチ・カウンターに座り、食事を注文することを試みた。この時の彼らの目的はそれぞれの店舗の雰囲気や度合いを感じることであった。どちらのランチ・カウンターでも接客されなかったが、対応の変化を大いに感じることができた。ケイン・スローンでの対応は軽蔑的であったが、ハーヴェイズでは意外にも丁寧な対応を受けるようになった。この試験的座り込みはあまり目立たず、市内の新聞各紙も取り上げなかった。
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