偽写真問題による絶版と再販
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:17 UTC 版)
「悪魔の飽食」の記事における「偽写真問題による絶版と再販」の解説
『続・悪魔の飽食』は元隊員であったという人物Aから提供された写真を、新発見のものとして収録した。その一部に、別の20世紀初頭の「満洲」におけるペスト流行のときの写真や済南虐殺事件で中国人に虐殺された日本人の検死写真など、731部隊に関係しない写真が含まれていたことが、1982年9月に明らかにされた。この時点で『続・悪魔の飽食』は前作と合わせてベストセラーになっていた。後の森村の説明によれば、「元隊員から提供された第二部に使用した写真の中に、七三一部隊とは関係ない明治四十三(一九一〇)年から翌年にかけて中国東北部に流行したペストの惨状の写真が混入されていた」。1982年10月の森村とAが同席する会見で、Aは写真に付いていた説明文を塗り潰して森村に提供したと告白した。森村と光文社の説明によれば、提供者Aは七三一部隊の石井四郎の親族と関係のあった人物で、問題の写真は他の元隊員複数による判定で本物と見なされていたという。森村は後に、同書のグラビアに用いた「本物の写真の中に偽物が混入されて提供されたので、真偽の判別ができなかった」と述べた。 日本経済新聞によれば、この発見の切っ掛けは、郷土史研究をする東京の会社員が古本屋で同じ写真が掲載された写真帖に偶然遭遇したことだった。 森村が誤りを認めた後、光文社がおわびの社告を新聞に掲載するとともに、書店に回収要請をし、訂正版を出版することを告知した。この後、森村は光文社の依頼に応じて経緯を説明するための原稿を光文社に提示したが、両者の間で意見が対立し、森村は12月までに同書の絶版を光文社に申し入れた。森村 1983c第3部と、森村 1983a第1部・森村 1983b第2部の改訂版が、問題の写真を削除した上で、角川書店より新たに出版されることとなった。 角川書店の角川春樹はこのことについて後に「内容がどうのこうのということより、作者が森村誠一さんであったことと、こうした脅迫に屈したら日本の出版の自由は退歩すると考え、退かなかった」と述懐した。これを出版したことで、角川書店にも右翼活動家が乗り込んできたことがあったという。 日本経済新聞社はこの問題を報じた自社のスクープを1983年度新聞協会賞に応募した(選外)。
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