倹約による幕府財政再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:19 UTC 版)
「寛政の改革」の記事における「倹約による幕府財政再建」の解説
幕府財政の再建の為に、大胆な財政緊縮政策を行っている。「宇下人言」によると幕府の金蔵は吉宗時代の253万両から明和7年には備蓄金は300万両程にも貯まっていたが天明の大飢饉の被害を受けて天明8年には幕府の金蔵は81万両しか残っていなかった。その上、定信就任当時、天明の大飢饉の損害と将軍家治の葬儀が重なり、幕府財政は百万両の赤字が予想されるほど切迫していた。その為、定信は即効性のある厳しい緊縮政策を実行し財政再建に努めた。倹約令や大奥の縮小、諸経費の削減などといった田沼時代にも行った緊縮政策を継承し切り詰めた結果、幕府の赤字財政は黒字となり、定信失脚の頃には備蓄金も20万両程貯蓄することができた。しかし、倹約令や風俗統制令を頻発したために江戸が不景気になり、市民から強い反発を受けたため、各種の法令を乱発することになった(p102)。
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