信松尼とは? わかりやすく解説

信松尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 10:27 UTC 版)

信松尼(しんしょうに、永禄4年(1561年) - 元和2年4月16日1616年5月31日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。甲斐国戦国大名である武田信玄の四女(諸説あり)。出家前の名は松姫(まつひめ)[1]。母は側室油川夫人。同母の兄弟姉妹には仁科盛信(五郎)、葛山信貞真理姫木曾義昌室・母は三条の方とも)、菊姫上杉景勝室)らがいる。


  1. ^ 武田氏の女性については信玄正室の三条夫人をはじめ実名が不詳であることが多いが、松姫は同母妹の菊姫と共に実名の判明している女性として知られる。
  2. ^ 『山梨県史』資料編4中世1(県内文書)-1509所載。なお、武田氏の願文については、西川広平「武田信玄の願文奉納をめぐって-宗教政策の一側面-」(柴辻俊六編『新編武田信玄のすべて』新人物往来社、2008年)
  3. ^ 松姫と信忠は実際に会ったことはなく、手紙のやりとりをして過ごし、両者は次第に精神的な繋がりが出来たという。
  4. ^ 盛信は天正8年(1580年)に高遠城主となっている。


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信松尼(松姫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 21:32 UTC 版)

清須会議 (小説)」の記事における「信松尼(松姫)」の解説

信忠の妻で、武田信玄娘。政略結婚ながらも、夫婦仲良好だった政治道具として嫁ぎ先生家転々としており、夫の死後息子三法師と共に清須にいる。

※この「信松尼(松姫)」の解説は、「清須会議 (小説)」の解説の一部です。
「信松尼(松姫)」を含む「清須会議 (小説)」の記事については、「清須会議 (小説)」の概要を参照ください。

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