作・編曲家としての活動とは? わかりやすく解説

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作・編曲家としての活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:42 UTC 版)

後藤次利」の記事における「作・編曲家としての活動」の解説

フォーライフ・レコードディレクター声を掛けて貰ったことがきっかけで、原田真二の「シャドー・ボクサー」で初め編曲担当するその後編曲家としての活動開始し八神純子中島みゆきなどの楽曲手がける沢田研二の『TOKIO』で第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞した他アーティストへのサポート傍らソロアルバム2枚リリース1980年代に入ると、作曲家としての活動本格的に開始ソフトクリーム一世風靡セピア始め近藤真彦シブがき隊中森明菜吉川晃司とんねるずおニャン子クラブとその関連ユニット工藤静香などの作・編曲多く手がけた。特にとんねるずおニャン子クラブ関連では、作詞家秋元康と組むことが多かったまた、テレビ番組企業CMBGM多数製作する1983年CBSソニーアーティストプロデューサーとして迎えられミニアルバム専門レーベルFITZBEAT」を立ち上げる。レーベルプロデューサーとして、レベッカ聖飢魔IIなどを世に送り出す。その傍らソロ活動行いシンセサイザー全面取り入れたアルバム3作をFITZBEATよりリリースする。3作目の『CITY TRICKLES ―街の―』は12入りであるが、6曲入りミニアルバム2枚パッケージした変則盤である。またレベッカの4目にして初の10入りフルアルバムREBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』の帯には「FITZBEAT SPECIALと書かれていたが、事実上このアルバムを境に、ミニアルバム専門というレーベルコンセプトは崩壊する1994年日本テレビ系NNNきょうの出来事テーマ曲file」を提供。BGM担当2003年山木秀夫とインストゥルメンタルユニットgym結成同年大高清美アルバム『Frames』のプロデュース手がける2004年8月CROSSOVER JAPAN'04での共演機に斉藤ノブ藤井尚之とインストゥルメンタルグループNon Chords結成。名の由来コード楽器が無いグループであることから。 2006年5月、klammyと新レーベル「TUTINOK(ツチノコ)」を立ち上げ、同レーベルより彼女とのユニットWAIPでデビュー2010年3月、『スッキリ!!』の企画で、スッキリ!!メンバーが歌う「あの頃からのラブレター」を作曲編曲作詞松井五郎)。『胸キュン90's〜ひとりで聴きたい恋の唄〜』にボーナストラックとして収録された。 またTSMOSM講師務めている。当校に通っている学生によるユニット(「team GO.ON」「GO WEST」)のプロデュース手掛けている。 最近では、2019年11月デビューしたB Pressure』でサウンドプロデューサー務めている。

※この「作・編曲家としての活動」の解説は、「後藤次利」の解説の一部です。
「作・編曲家としての活動」を含む「後藤次利」の記事については、「後藤次利」の概要を参照ください。

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