佐藤功とは? わかりやすく解説

佐藤功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 01:47 UTC 版)

佐藤 功(さとう いさお、1915年大正4年)3月29日 - 2006年平成18年)6月17日)は、日本法学者。専門は憲法。学位は、法学博士東京大学論文博士・1958年)。上智大学名誉教授文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった[1]。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。


注釈

  1. ^ 2016年(平成28年)に時事通信社から復刻[1]

出典

  1. ^ a b 豊秀一 (2016年10月26日). “やさしく憲法、今こそ復刻 制定尽力の学者著書、60年ぶり”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 10面 
  2. ^ 国立国会図書館における書誌ID:000010618919
  3. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊


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佐藤功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)

GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「佐藤功」の解説

憲法学者の佐藤功は、佐藤達夫亡き後、『日本国憲法成立史第3巻1994年)で、佐藤達夫記述した2月13日」の項目に関して追補行った。即ち同記述は、もっぱら松本の「会見記略」及び自由党憲法調査会での談話(「日本国憲法草案について」の談話)によるものとし、それについて、1961年憲法調査会憲法制定の経過に関する小委員会報告書』、1972年の『日本国憲法制定の過程』I、1989年のケーディス論文までを網羅して多面的詳細な記述行っている。また、佐藤功は自身作成した同著付録1の「日本国憲法成立過程の日歴」に、1946年2月13日の項として「2・13 ホイットニー准将等、マ草案吉田外相松本大臣に手交」としか記していない。(#「日本国憲法制定経過日録」未定稿の三)を比較参照)。

※この「佐藤功」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「佐藤功」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。

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