佐藤功
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佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1958年)。上智大学名誉教授。文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった[1]。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了、高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。
注釈
出典
佐藤功
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「佐藤功」の解説
憲法学者の佐藤功は、佐藤達夫亡き後、『日本国憲法成立史』第3巻(1994年)で、佐藤達夫が記述した「2月13日」の項目に関して追補を行った。即ち同記述は、もっぱら松本の「会見記略」及び自由党憲法調査会での談話(「日本国憲法の草案について」の談話)によるものとし、それについて、1961年の憲法調査会『憲法の制定の経過に関する小委員会報告書』、1972年の『日本国憲法制定の過程』I、1989年のケーディス論文までを網羅して、多面的で詳細な記述を行っている。また、佐藤功は自身が作成した同著付録1の「日本国憲法成立過程の日歴」に、1946年2月13日の項として「2・13 ホイットニー准将等、マ草案を吉田外相・松本大臣に手交」としか記していない。(#「日本国憲法制定経過日録」(未定稿の三)を比較参照)。
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