伯耆国庁跡
伯耆国庁跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:39 UTC 版)
鳥取県倉吉市国府・国分寺に所在する。1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)の間に6次にわたって発掘調査が実施された。その結果伯耆の国府で国衙跡のほぼ全体が発掘調査で検出されるという大きな成果があった。国庁の東側に国分寺と国分尼寺があった。国庁は、幅2メートル、深さ1メートルほどの溝によって区画された外郭(曹司[ぞうし]地区)とその中央部に内郭(国衙政庁地区)からなり、外郭域は東西273メートル、南北227メートルの長方形で、東辺に東西51メートル、南北245メートルの張り出し部が付く。遺跡は8世紀中頃から10世紀の間のもので、大きく分けて4時期の変遷がみられる。
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