他の氷と炎の歌の物語での言及
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「ダンクとエッグの物語」の記事における「他の氷と炎の歌の物語での言及」の解説
ジェイミー(ジェイム)・ラニスターが『剣嵐の大地』で回想した時、”サー・ダンカン・ザ・トール”(長身のサー・ダンカン)の名前が〈王の盾〉の著名な総帥(司令官)の一人として出る。同じ章において、バリスタン・セルミーの記録の中に、彼が”サー・ダンカン・ザ・トール”をキングズランディングの冬の馬上試合で破ったことが述べられている。 『七王国の玉座』の付録の中のターガリエン家の家系図の中で、エッグがエイゴン五世王(不似合い王あるいは異例王とも呼ばれる)となり233年から259年まで統治したことが示されている。エッグの孫がターガリエン王朝最後の王である狂王エイリス(エリス)となる。 『王狼たちの戦旗』の中で、エッグの兄のメイスター・エイモンが玉座を差し出されたが、これを断って玉座にエッグを薦めたことが明らかにされている。王となったエッグはエイモンが統治を助けてくれることを望んだが、エイモンはメイスターとしての仕事を続けることを選び、〈壁〉に行くことになった。 『剣嵐の大地』において、プリンス・オベリン・マーテルは「ターガリエン王朝では、王族を襲ったものはそれに使用した手を失ったものだ」と言っており、これは『放浪の騎士』で起きたのと同じ状況を指している。 『乱鴉の饗宴』において、ブライエニーはダンクの盾と似た木の枝を盾に描かせており、これは以前ブライエニーが父親の武器庫で見た盾から意匠をとっている。また、同じく『乱鴉の饗宴』において、ブライエニーは姓をヘドルという娘(The Mystery Knightにおいてダンクに殺される黒のトム・ヘドルの子孫かもしれない)が経営する旅籠に来る。 同じく『乱鴉の饗宴』において、メイスター・エイモンはうわごとで何度もエッグの名前を口にする。エッグの娘の一人が、バラシオン家の息子に嫁ぎ、その子がステッフォン・バラシオン公となったため、ロバート、スタニス、そしてレンリーはみなエッグの曾孫であることが明らかになる。また、メイスター・エイモンが〈壁〉に向かった時には、ダンクを護衛とし、後に〈壁〉の総帥となる〈血斑鴉〉ブリンデン・リヴァーズを含む囚人たちと一緒に〈黄金のドラゴン〉号に乗って〈東の物見城〉に安全に着くようエッグが取り計らったと語る。 『竜との舞踏』において、バリスタン・セルミーが回想するに、王となったエッグは子供たちに政略結婚ではなく愛のための結婚を許したとある。エッグ自身が愛のための結婚をしたため、子供たちにも許したのであるが、これが名家の間に恨みと反逆をもたらし、最終的には"夏の城館(サマーホール)の悲劇"を引き起こしたとある。
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