井上幸治_(西洋史学者)とは? わかりやすく解説

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井上幸治 (西洋史学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 10:18 UTC 版)

井上 幸治(いのうえ こうじ、1910年7月10日 - 1989年9月9日)は、日本の歴史学者。専攻は西洋史(近代フランス史)で、フランス史書・哲学などの翻訳・監修も多い。戦後の西洋史研究の基礎を築いた一人で、郷里の埼玉県で起きた秩父事件の先駆的研究や史料集成でも知られる[1]

略歴

埼玉県秩父郡大宮町(現・秩父市)出身。旧制熊谷中学校から旧制浦和高等学校文科丙類(フランス語)に進学[2]。浦和高校での友人に、同級生のジャーナリスト柳沢恭雄、二年後輩で警視総監になった原文兵衛がいる。

浦和高校は1930年3月に卒業[3]し、1933年(昭和8年)に東京帝国大学文学部西洋史科卒業[4]

平凡社勤務などを経て、1953年(昭和28年)から神戸大学立教大学津田塾大学の教授を歴任した。

「戦後の西洋史研究のひとつの基礎をきずいた」[5]とされ、教科書・概説書の編集にも参与した。専門の近代ヨーロッパ史は経済や社会・国際関係など幅広い視野で研究を行い、晩年はアナール学派紹介を多く行った。

同時に明治日本を対象として、史料に基づき高度な歴史学的総合研究・調査に着手し、特に郷里の埼玉西北部の秩父郡地域でおきた秩父事件研究では、史料集成の大著を編纂し(没後刊も含んだ)総合科学として構想した研究で、事件を「自由民権運動の最後にして最高の形態」[6]だったと規定している。

1989年、肺癌のため死去[7]

著書

共著

  • 『危機としての現代 歴史学者の対話』 江口朴郎との対話、三省堂新書, 1971年
  • 『歴史を語る 学生との対話』 二玄社, 1979年
  • 『マルクスは護符じゃない 井上幸治対談集』 雄山閣, 1981年

編著

訳書

脚注

  1. ^ 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 『井上幸治』 コトバンク
  2. ^ 豊田源之助と井上は同級生。金井敬七『改訂 無諡の人 - 豊田源之助遺稿集』 文芸社、2003年 ISBN 4835557662
  3. ^ 浦和高等学校編『浦和高等学校一覧 第9年度(自昭和5年至昭和年)』浦和高等学校、p.268
  4. ^ 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 昭和8年度』東京帝国大学、1933年、p.524
  5. ^ 『日本人名大辞典』 講談社, 2001年。ISBN 4062108003
  6. ^ 『秩父事件』 中公新書, 1968年
  7. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)4頁



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