二世権現とは? わかりやすく解説

二世権現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:15 UTC 版)

徳川家光」の記事における「二世権現」の解説

春日局筆と伝わる「東照大権現祝詞」(日光山輪王寺所蔵)には、病弱3歳時大病した家光家康調薬によって快復した、以後も病に臥せるたびに家康霊夢によって快復したとする話や、家光粗略に扱う秀忠夫妻激怒し家光駿府引き取って家康養子にしてから3代将軍就ける叱責した話が記されている。これらに加え家康命日家光生誕日が17日一致していることなどが、父・秀忠よりも祖父家康の恩を意識していたと考えられている。 寛永13年1636年)に東照宮造営すると、日光社参生涯のうちに10行っている。 晩年家光はたびたび家康の姿を夢に見て狩野探幽にその肖像何度も描かせている。これらは「(家光霊夢(の画)像」と総称され、現在16点確認されている。 身につけていた守袋に「二世ごんげん権現)、二世将軍」や「生きる死ぬる何事もみな 大権現次第に」等と書いた紙を入れており、これも家康とのつながり意識強さとその尊崇ぶりを著すものと見られている。

※この「二世権現」の解説は、「徳川家光」の解説の一部です。
「二世権現」を含む「徳川家光」の記事については、「徳川家光」の概要を参照ください。

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