下津具小学校(1872-1974)
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「設楽町立津具小学校」の記事における「下津具小学校(1872-1974)」の解説
1872年(明治5年)には津具郷学校の支校として下津具にも学校が発足し、1873年(明治6年)には津具学校下津具分校となった。1875年(明治8年)4月には観福寺跡に移転し、1876年(明治9年)12月に下津具学校として独立した。1879年時点の北設楽郡には第一番小学から第三十三番小学までがあったが、下津具の学校は第二十五番小学下津具学校と呼ばれた。 1882年(明治15年)5月には若宮社跡に2階建て校舎を新築して移転した。当時の愛知県では一郡に一校の高等小学校が設置されており、北設楽郡では稲橋村に北設楽郡高等小学校(稲橋高等小学校)が設置されていたが、1889年(明治22年)には下津具村会などの尽力で、下津具にも高等小学下津具学校が設置された。1891年(明治24年)5月には明治天皇の御影が下賜された。1892年(明治25年)8月には尋常高等小学校下津具学校に改称している。同年4月には校舎が焼失しており、1893年(明治26年)12月に校舎が再建された。 1901年(明治34年)の修学旅行は名古屋方面であり、1918年(大正7年)の修学旅行は京阪地方だった。1941年(昭和16年)4月1日には国民学校令により下津具国民学校に改称した。1944年以後には津具村にも名古屋・東京・静岡・豊橋・蒲郡・川崎などから来た児童の疎開者があったが、縁故疎開であり集団疎開ではなかった。下津具国民学校からは8人、上津具国民学校からは6人が、豊川海軍工廠に勤労奉仕に赴いている。 1947年(昭和22年)4月1日には下津具村立下津具小学校に改称した。同年には下津具村立下津具中学校が下津具小学校に併設された。1950年(昭和25年)には現在地に上津具村・下津具村学校組合立津具中学校が設立され、小学校と中学校が分離された。1951年(昭和26年)には講堂が竣工している。1956年(昭和31年)9月30日には上津具村と下津具村が合併して津具村が発足したことで、津具村立下津具小学校に改称した。
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