三笠宮崇仁とは? わかりやすく解説

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みかさのみや‐たかひと【三笠宮崇仁】

読み方:みかさのみやたかひと

[1915〜2016大正天皇の第4皇子幼名澄宮(すみのみや)。昭和10年(1935)三笠宮家創設第二次大戦中陸軍参謀などを務めた戦後古代オリエント史を研究紀元節復活の動きには、神武紀元史実性への疑義から反対論となえた著書に「帝王と墓と民衆」「古代オリエント史と私」など。


三笠宮崇仁親王

(三笠宮崇仁 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 03:43 UTC 版)

三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう、1915年大正4年〉12月2日 - 2016年平成28年〉10月27日)は、日本皇族陸軍軍人歴史学者古代オリエント史)。三笠宮家初代当主。御称号澄宮(すみのみや)[2]お印若杉(わかすぎ)。身位親王敬称殿下[3]勲等大勲位。最終階級は陸軍少佐




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