三業惑乱と能化職の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 08:56 UTC 版)
「学寮 (西本願寺)」の記事における「三業惑乱と能化職の廃止」の解説
しかし、1797年(寛政9年)に第7代能化に就任した智洞が三業帰命説を唱えると、安芸の大瀛、河内の道隠ら在野の学僧(古義派)が批判を挙げ、全国の門徒が混乱して流血の紛争へと発展した(三業惑乱)。最終的に寺社奉行の裁定に持ち込まれ、智洞の説が誤りとされて事態は収拾したが、門主をも凌ぐと言われた能化の権威は崩壊し、西本願寺は能化職を1807年(文化4年)に廃止し、1824年(文政7年)に任期1年の勧学職を置いて集団指導体制に転換する。
※この「三業惑乱と能化職の廃止」の解説は、「学寮 (西本願寺)」の解説の一部です。
「三業惑乱と能化職の廃止」を含む「学寮 (西本願寺)」の記事については、「学寮 (西本願寺)」の概要を参照ください。
- 三業惑乱と能化職の廃止のページへのリンク