三星ライオンズ時代
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群山商業高等学校(朝鮮語版)から速球派左腕として三星ライオンズに入団。三星は左の先発投手が層が薄く、将来性もあったため、球団側の期待も多かった。数年間キャリアを積み、2009年4月25日の起亜戦でプロ発先発し、7回1失点と好投。6月2日にはネクセン戦では念願のプロ初勝利。以降は本人の逃げ腰気味の投球もあり調子を落とす。 2010年は、従来の制球難と逃げの投球をなんとか克服。6月27日のネクセン戦で先発投手として初勝利し、7月18日のLG戦では初完封。監督推薦で7月24日のオールスターに出場し、優秀投手賞を受賞した。首位のSKを2位で猛追していたサムスンは、梁埈赫の引退試合になった9月19日にも好投したが、SKのエース金廣鉉の前に打線が沈黙し惜敗。結果的に10勝2敗、勝率においては0.833で柳賢振の0.800を抜いてシーズン勝率1位タイトルを挙げた。また、LG戦には防御率0.28、2完封と得意とした。 2011年は前年より投球内容は落ちたが、先発ローテーションを守り2年連続2ケタ勝利を記録し、韓国シリーズでも2勝をあげるなど優勝に貢献した。 2012年は自身初の開幕投手をつとめたがノックアウトされてしまい、不振から立ち直れなかった。 2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の韓国代表に選出された。同大会では、1次ラウンドのオランダ戦の7回裏3番手で登板し、ロジャー・バーナディーナにタイムリーを打たれ、1アウトも取れず降板した。 2014年は9月に開催された仁川アジア競技大会の野球韓国代表に選出された。同大会では韓国が優勝したため兵役免除の恩恵を受けることになった。 2015年は193個で初の個人タイトルとなる最多奪三振を受賞した。オフの10月7日に第1回WBSCプレミア12の韓国代表選手28名に選出された。同大会では5試合にリリーフ登板し、韓国代表の優勝に貢献した。 2016年オフにフリーエージェント(FA)となった。
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