ヴァレリー・クリモフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 05:47 UTC 版)
ヴァレリー・アレクサンドロヴィチ・クリモフ | |
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生誕 | 1931年10月16日 |
出身地 | ソビエト連邦 ウクライナ社会主義ソビエト共和国、キエフ |
死没 | 2022年??月??日 |
学歴 | キエフ音楽院、モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
ヴァレリー・アレクサンドロヴィチ・クリモフ(露: Валерий Александрович Климов;英語: Valery Alexandrovich Klimov、1931年10月16日 キエフ - 2022年)はウクライナ出身のソビエト連邦、ロシアのヴァイオリニスト。ソ連人民芸術家(1989年授与)。
経歴
父親に手ほどきを受けたあと、オデッサのストリャルスキー音楽学校でヴァイオリンを学ぶ。1951年にキエフ音楽院に入学、その後、モスクワ音楽院に進みダヴィッド・オイストラフに師事した。在学中から演奏活動を始め、数多くの音楽コンクールに参加、1951年、ベルリンで開催された世界青年学生祭典での入賞を皮切りに、1955年のロン=ティボー国際コンクールで第6位入賞、1956年のプラハの春国際音楽コンクールで優勝、1958年の第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したことにより、第一級のヴァイオリニストとして認められ、世界各地で活躍するようになる。
演奏活動とともに教育にも力を入れ、各国で講座を開いている。1974年のオイストラフの死により、その後を受けてモスクワ音楽院で、また、1989年からはザールブリュッケン音楽大学でそれぞれヴァイオリン教授を務めた。
1962年にロシア連邦共和国功労芸術家、1971年にロシア連邦共和国人民芸術家、1989年にソ連人民芸術家の称号を授与されている。
メロディアにベートーヴェン、メンデルスゾーン、ハチャトゥリアンなどの協奏曲をはじめ、数多くの録音を残している。
家族・親族
- 父はキーロフ歌劇場の指揮者を務めたアレクサンドル・クリモフ。
脚注
- ^ “Ö1 Kalender”. oe1kalender.orf.at. 2023年10月23日閲覧。
固有名詞の分類
ソビエト連邦のミュージシャン | ソフィーヤ・ロタール イーゴリ・オイストラフ ヴァレリー・クリモフ アルトゥール・エイゼン アレクサンドル・ピロゴフ |
ロシアのヴァイオリニスト | ヴィクトル・トレチャコフ イーゴリ・オイストラフ ヴァレリー・クリモフ ジノ・ヴィニコフ ユリアン・シトコヴェツキー |
ウクライナのヴァイオリニスト | ナタン・ミルシテイン イーゴリ・オイストラフ ヴァレリー・クリモフ ダヴィッド・オイストラフ アナスタシア・チェボタリョーワ |
ドイツの高等教育の教員 | ヴァレリー・クリモフ トマス・アプト エディト・パイネマン ペーター・スローターダイク |
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