ヴァイキングの妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:02 UTC 版)
「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の記事における「ヴァイキングの妻」の解説
ヴァイキングに伝わるサガの幾つかが、ウラジーミルにヴァイキング(ヴァリャーグ)の妻がいたとする。ウラジーミルはノヴゴロドでの統治の初期、オラワ(Olava)またはアロギア(Allogia)という名のヴァリャーグ人を妻とした。オラワという名は聞き慣れないが、おそらくオラフ(Olaf)の女性形であろう。スノッリ・ストゥルルソンによれば、逃亡したオラフ・トリュグヴァソンはアロギアの家で庇護された。アロギアはまたオラフのために多額の償金を払った。 何人かの権威ある歴史家 Vydzevskaya ("Ancient Rus and Scandinavia in 9-14 cent.", 1978)らは、この挿話をスカンディナビアの宮廷詩人の誤解にもとづくものだとし、ウラジーミルの妻ログネダと、祖母で彼を薫陶したオリガが混同されたとみる。アロギアはオリガの変形名でもある。他の歴史家は、オラワは実在し、ヴィシェスラフ(Vysheslav)の母となったと主張する。ヴィシェスラフはウラジーミルの息子のうち、最初にノヴゴロドを支配し、その継嗣であると長くみなされていた。その一方で、キエフの君主がその長子をノヴゴロドに送るという伝統が、そのような早い時期に確立していたという明確な証拠はいっさい存在しない。 ヴァイキングの妻をウラジーミルがもったという説を史実に基づくとする学者は、970年代末、ウラジーミルがスカンディナヴィアに逃亡した時期にこの関係が結ばれたと考える。この説では通常エイムンドのサガの一節イングヴァルスのサガが引き合いに出される。そこではスウェーデンのエリク6世が、東からホルムガルドへ横たわるフィヨルドを超えてきたゲルマン人の君主(konung)に娘を娶わせたといわれる。この「ゲルマン人の君主」がウラジーミルであると主張されるのである。
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