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ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/01 14:22 UTC 版)

キエフ公国大公ウラジーミル1世958年頃-1015年)は洗礼を受けるまで、メルゼブルクの主教であるティトマー(Thietmar)により「大いなる極道者」(ラテン語:fornicator maximus)と呼ばれた。ウラジーミルはキエフの宮廷とベレスティヴォの別邸に数百人の妾をおいていた。またポロツクのログネダを初めとする複数の異教徒の妻がいた。『ルーシ原初年代記』はウラジーミルに12人の息子がいたとし、ウラジーミルの妻たちについても、その子供とともに記録している。しかし、どの子供がどの妻から生まれたかについて、年代記の報告は一致していない。したがって、以下の記述は、多分に推測に基づいたものとならざるをえない。


  1. ^ 「ポルフィロゲネタ」は皇帝の嫡出子を指す。詳しくはコンスタンティノス7世ポルフュロゲネトスの項を参照。
  2. ^ 男子が生まれた場合、バシレイオスは生涯独身で弟のコンスタンティノス8世には娘しかいなかったため、場合によってはキエフ・ルーシに東ローマ皇帝の継承を主張出来る可能性を与えることになる。


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